オリジナル

花のよりしろ(前編)

「花のよりしろ」の根幹となる物語です。
前後編に分けてます。後編はこちら→https://nztk.jp/works/pjmlucicsgugo

今回も、「ダウンロード」から読みやすい縦書きのpdfを見られるようにしています。
こっちの方が読みやすいはず。

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花のよりしろ

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     1


虹色だった。

光の粒が大小に輝く、画面いっぱいに広がる暗闇。その下方から唐突に現れた虹色の球体によって、まどろんでいた彼の意識は引き戻された。

宇宙空間に浮かび上がった巨大なシャボンのようにも見えるそれはしかし、紛れもなく惑星である。

「目は覚めましたか? 職務放棄のあほマスター」

マスター、と呼ばれた彼の小さなコクピットのスピーカーから、平坦な女性型の声が響いてくる。抑揚はないが、その口調は親しげな皮肉に満ちていた。

「着いたか、リディ。早速で悪いが、ティエラⅢの様子はどうだ?」

ティエラⅢ。

かつて60億を越す人類を愛した、水と言葉の星。地球。


     ・


リディは、自分の主人が目を覚ましたのを確認すると、腰掛けていた大きな岩から立ち上がる。

合成ゴム製の靴底で、好き勝手に伸びた芝生を踏み締めると、かすかにコンクリートの感触が認められた。この地上から人類が消えて、もう60年が経つ。

かつて環境破壊が危機的な状況にあったなどとは信じられないほど、今この星は自然に満ち満ちている。

「何か感じるか? リディ」

「錆びて折れた電波塔。狼が数匹。奥に街の残骸が見える。あとは……うるさい男の声」

「予定通り着陸できたみたいだな。相変わらず、〈着陸前の〉お前は完璧な仕事をする」

マスターがそう言って笑うので、リディはいらついて足元の石を蹴った。

「そんなんだから女の子に嫌われるんですよ!」

リディは怒りの感情に耐性がない。彼のちょっとしたことにすぐ怒りを覚える。

そして何より、彼に対してこんなに感情を揺さぶられる自分自身に、いらいらする。

そもそもリディに感情というものがある方がおかしいのだ。

だって、とリディは心の中で呟く。

­­----だって、私はただの機械人形なのに。


無駄な話ばかりをしてくるマスターをよそに、リディはかつて街だった場所まで移動を開始する。

リディは人間の女性型をしているが、脚部を展開して使用するホバーユニットと、バックパックに詰まった拡張パーツによって人間を遥かに超える移動速度を誇る。

アンドロイドの運動性能は人間を遥かに上回っているが、それでもまだ、機械が人間のように意思を持つには程遠い。人間の魂についての考察は、地球がまだ人であふれていた頃からずっと進歩してはいたが、それでも今のリディのように人間と話ができるアンドロイドを作ることなど、有り得ない話だった。

「そんな夢みたいなシチュエーションを、俺は体験してるってわけだな」

ああ、もう。うざったい。

マスターは、もう何十回もティエラⅢへのダイブを経験しているくせに、私が聞き飽きているとも知らずに同じ話をするんだ。

「よっぽどプシュケーの濃度が高いんだ。リディみたいな人型のものが近づくと、取り憑いて神秘を巻き起こす。地球じゃ人形が勝手に動き出すなんて伝説も多かったらしいけど、こう頻繁に起こるようじゃ、ありがたみも無い」

「そのおかげで、マスターが無職にならず済んでいるんじゃない。あなたも、こっちまで降りてみたら? 神秘のおかげでマトモな人間になれるかも」

「まさか。俺がそっちにいけるようになった時には、今度はキミが無職になるんだろうな」

……それでも、マスターが職につける保証はないと思うけどね。

リディはそれを言いかけたが、ふと背後から近づいてくる気配に気づき集中する。

「マスター、敵。獣が三匹」

「許可する」

攻撃許可のコードを、マスターは極めて迅速に発動した。

もっとも、他にマスターのするべき仕事などほとんど存在しないのだから当然だとリディは思う。

リディは振り返ると、そのままの勢いで左足を上げ、飛びかかってくる狼の鼻先を蹴り飛ばす。

骨の砕ける嫌な感触と、鋭く短い悲鳴。

辺りを見回す。リディの思考回路が高速で発火を繰り返す。

気配は確かに三つあった。ひとつは今、私が潰した。

視界の右側に、錆びた自動車の残骸。一匹はその中に。

もうひとつは……私の真上から。

鋭い爪を振り上げ、太陽を隠すように飛びかかり、空を仰ぐ私の顔に影を落とす。

掌を突き出すと、手首についたユニットからワイヤーアンカーを射出。空中の的をめがけ飛んでいく----しかし当たらない。自由落下をしていたはずの狼は、空間が歪んだように見えたかと思うと、瞬時に霧散した。

続いて、リディの後頭部に鈍い痛みが走る。

痛み? 機械が痛み、とは。

リディはぼんやりする意識の中で、歯を見せて笑った。

地球に降りてくると、私はまるで、本当に人間になってしまったみたいだ。

毎日食べ物を食べて、綺麗な服を着て友達と街を歩き、夜になればベッドで恋人と抱き合うような、なんの変哲もない、普通の人間。

でも、

「普通の人間だったら、死んでたわよ。ばかやろう」

腿のユニットから引き抜いたカーボン製のブレードで、背後からなおも襲い掛かろうとする狼を真っ二つに引き裂く。

今度は完璧に捕らえた。

獣の肉体を満たしていた血液がそこら中に弾け飛ぶが、滑らかなリディの肌には染みひとつ付かなかった。

緑でいっぱいの草原のなか、リディの立っているところだけが赤く異彩を放っている。

死骸は、やはりただの狼そのものであった。先程のような、物理法則を無視した動きなど出来そうにもない。

改めて周りを見渡すが、隠れていたもう一匹は、すでに逃げてしまったらしい。

ひとつ息をつくと、リディはブレードを収めた。もう攻撃された頭部の痛みも引いていたし、アラミド繊維を加工した美しい銀髪にも、その奥の頭蓋パーツにも傷ひとつなかった。

「……無事か?」

「ええ」

即座に返事をする。

やれやれ、やっぱりこの男は私の癇に障る。

リディは頭の中に直接響くこの男の声を振りほどくように、少し頭を振る。

少し想定外のことが起きたものの、私の身体に損傷はないし、無事であることに違いはなかった。

なのに、マスターは明らかに私を気遣うような声色で無事を確かめてくる。

そんなこと、手元のモニターを見ればわかるだろうに。あなたは私のマスターだ。私に関する全ての情報は、いつだって、あなたの手の届くところにある。

私の、魂の声以外は、ね。

リディは再び脚のユニットを展開し、一飛び120メートル強の跳躍を27回繰り返すと、目的地である街がよく見える丘へ立った。

地平線が見渡せる静かな場所で、太陽はちょうどその向こう側へと消えかかろうとしている時間だった。

真っ赤に染まる風景を眺めながら、リディは思う。

----地球の景色は共有できなくても、あの人はいま、私と同じ陽の光を見ているだろうか。





     2



リディを無事にティエラⅢへと送り出したマスターは、探索中の指揮を彼女自身に任せ、手元の携帯端末に目を移した。着信履歴がある。

一件は、今回の地球探索を許可した管理局のフライトディレクターから。無視。

一件は、最近すっかり顔を出さなくなった実家から。これも無視。

最後の一件は……この前こっぴどく叱られた、意中の女の子から。

彼はため息をひとつ吐くと、液晶パネルに浮かぶ通話のボタンをタップした。

スピーカーから、繰り返し呼び出し中の音源が流れる。彼女に電話すると、いつもこうだ。----俺から話をしたい時に限ってあいつはすぐに出てくれない。甘ったるくて気持ちの悪くなるメロディが延々と繰り返される喧しさ。

そして、その先に待っているのはたいてい、愛なんてかけらも無い喧嘩話ばっかりだ。

それでもあいつに会いたがる俺はいったいどこまで馬鹿なんだろうか。

考え方も趣味も歩いてきた人生も、何もかもが違うのになぜかいつも一緒にいた彼女。

最近はずっと、顔も合わせられないまま、彼はただひたすらに地球へ降りた。

いや、厳密には、作業用多目的アンドロイドを地球へ下ろした、ということなのだが。

それはつまり、星ひとつを舞台にした宝探しゲームだった。

あるとき、地球という星を覆い尽くした超広範囲のプシュケー汚染。あらゆる怪異や伝説が具現化し、人類に襲いかかった霊的大災害。神秘を忘れ、科学と理性の信徒となった人間に、それは容赦なく牙を剥き、災害に気付いた異星からの救助がやってくる頃には、大半の人類は魂を奪われていた。

あとはもう、彼らのようなゴミ漁りの人間たちが、遺物をもとめてアンドロイドたちを降下させ、探索をするのにしか使われない。それがティエラⅢ----地球という星だった。

音楽が止まり、わずかなノイズとともに女の声が聞こえてくる。

「はい、エル。いまはどこにいるのかしら」

「……遠くだよ」

「知ってるわよ。それで?」

こいつはきっと、俺がイライラするのを分かってて、電話をかけるとしばらく放っておくし、わざと突き放すような言葉ばかり投げつけてくる。

彼はこうやっていつもペースを乱される。いつだって、自分が彼女には勝てないのだと勝手に思い込まされて空回りをする。未だにまともな仕事にもつけない自分と、本星の大都市で働く、ふたつ年上の彼女。まるで釣り合わない。

「それで、って何? 俺は君から電話を貰ったからかけ直しただけだ」

「でも、私の言いたいことはわかってると思う。エル、いつまでも遊んでないでよ。そんなところで……」

彼女----テティスはいつも通り、エルに危ない遊びから手を引くように言う。今は仕事なんていくらでも選べるし、人口が激減した今、貴重な若者が危険な目に遭うのは人類全体の損失で……

(そんなことを言われなくたって)

エルは思う。

そんなふうに説得しなくても、ただ一言、「私のために帰ってきて」と言ってくれれば俺はきっと。いつでもキミのところに帰れるんだろうけど。

「聞いてるの? さっきから全然返事をしてくれないじゃない……」

「悪いな。人形を動かしてる」

「リディちゃん? あなたの大好きな」

「そんなふうに、人間みたいな言い方をするな。たかが機械に」

「たかが機械人形にすら、魂を与えるのが地球のプシュケー。そうでしょ?」

テティスは語気を強めてエルを詰った。彼女はこの話になるとますますエルにきつくあたる。

「プシュケーの濃度が強まれば、人間に対して怪奇を引き起こすようになる。それは、精巧に人間を模したアンドロイドにも干渉し、地球ではアンドロイドが人間のように魂を持っているように見せかけるようになる。

そのくらいのこと、私が知らないとでも思った?」

「隠してるわけじゃない。そのうち知れることだ。特に、星間交信に関わる人なら……」

「別にいいわよ。エルが私に隠し事をするくらい、昔からだもの。

でもね、エルが危ないことをしてるの知っていながら、見逃すなんて出来ない」

「これはそんな危険な話じゃない。

確かにティエラⅢは危険な場所だ。キミも知ってるだろ、あの星の歴史を……

科学と理性が発展し、神秘や霊魂を蔑ろにした人間たちが、どこかに設置されていたプシュケーリアクターを破壊したせいで霊的エネルギーが発散できなくなってから、あの星ではあらゆる怪奇現象が引き起こされるようになった。

地球上で信じられてきた、あらゆる神話、おとぎ話、都市伝説……それらの物語がすべて現実のものに変わり、人間たちに襲いかかった。

今じゃ、地球はあらゆる場所が高濃度のプシュケーに汚染されていて、普通の人間が降りていけばすぐに怪異に襲われて、死んでしまう。

でも、アンドロイドは別だ。魂を持たないアンドロイドに小型のプシュケーリアクターを持たせ、地球で除染作業にあたらせる。

……確かに、人間を似せて作ったアンドロイドにプシュケーが取り憑いて意識のようなものが現れるのは本当だが……それも、地球から離れれば元に戻る」

「どうだか」

エルがいくら説明しても、テティスには納得がいかないようだった。

「一度意識を持った機械だなんて、信用できないわ。もしかしたら、いちどあの星に行った人形たちは、みんな帰ってきたら元に戻ったフリをして、さんざん利用してきた私たちに復讐する機会を窺っているのかも……」

「リディはそんなことしないよ、口うるさいやつだけど」

「リディは、ね」

テティスはますます機嫌が悪くなる。昔から気にかけてきた年下の男の子が、急に出てきた別の女----しかも、得体の知れない機械人形----に熱をあげているという事なら、機嫌のひとつも悪くなるのは当然ではある。彼女が事あるごとにエルに連絡をよこすのも、結局は好意によるものであって、自分の好きな男を、より安全な、自分のそばに置いておきたいと考えるのも無理はない。

だからこそ、彼女はエルのために良い仕事を斡旋しようと躍起になっているし、エルの方としては、いつまでも彼女に頼りっぱなしにはなりたくないというだけの理由で、ずっと地球で宝探しを続けている。

つまり、エルにしろ、テティスにしろ、素直になれないところはお互い様だった。

「あいかわらず仲が良いみたいで羨ましいわ!」

それだけ言って、テティスからの通信は途切れた。


     ・


「ずいぶん賑やかだったみたいじゃないですか」

「また盗み聞きかよ、リディ」

テティスとの話が断ち切られ、項垂れていたマスターにリディが話しかける。

こちらからの交信は切っていたはずだし、アンドロイドが勝手にマスターの通信を盗聴するなどあり得ない話だが、地球にいる限りリディは「科学的にありえない機械」であった。

これでは、意識を持った機械が信用できない、というテティスの言い分も正論という他なかった。実際、マスターであるエル自身も、プシュケーに干渉されてからのリディの振る舞いにはずいぶん驚かされてきた。

まだアンドロイドがここまでの性能を持つようになる前、子供の頃に親から与えられ、エルがバージョンアップを重ねてきた、あの無口で冷たいリディが、実際にはずいぶん気安く、めんどくさい奴だったとは。

エルは初めてのダイブを行う前から、仲間たちに地球での話を聞いていたので、そこまで驚愕したというわけでもないのだが、それでも、幼馴染とも言えるリディの変貌には驚かされた。これも新米シューターたちにとっての洗礼だった。


ストーリーシューター。

彼らは、アンドロイドを用いて地球に降り立ち、廃墟を探索する自分たちのことを好んでそう呼んだ。

----高濃度のプシュケーが溢れ出す汚染された地球に、アンドロイドを送り込み除染作業を行う。アンドロイドたちは、除染の際にその土地が持つ怪異の物語……つまり、被害者たちの記憶を読み取り、データとして回収する。

ストーリーシューターが集めるデータには、小説や随筆のようなテキスト、それから怪異の一場面や、怪異をあらわした子供たちの姿をおさめた画像データなど様々な種類があるが、いずれにしてもほとんどは単なる断片でしかない。まれに一定の物語の形を保ったデータを発見すると、それを売ることでシューターたちは莫大な利益を得ることができた。

特に、大きな物語を回収できれば除染の範囲もそれだけ広いというわけで、この場合は物語の利益のほかに管理局からの報酬が上乗せされる。

有り余る時間以外に何も持たない若者たちは、こぞってストーリーシューターになり、宇宙を舞台にしたトレジャーハントを夢見た。

「リディ、そっちはどうなってる」

聞いたところで自分が何かをするわけでもないが、退屈しのぎにエルは問いかける。ストーリーシューティングにおいてマスターのすることは多くない。何しろ高性能の機械人形にすべての作業を任せ切ってしまうのだから、降下するポイントの目処をつけ、パートナーのアンドロイドを射出すると、あとは一人乗りの狭いポッドに座っているしかなかった。

地球という星を使った釣り堀とでも言い換えたほうが良いかも知れない。ひたすら待ち続け、いつか大物が掛かるか、エサのついた針が食い散らされれば終わり。

「すでに街に入りました。周辺の危険を探索中。いくつかの敵性存在を確認」

敵性存在、という割には呑気な声を出すので、今回もハズレか、とエルは思った。

今回も、すべてリディに任せておけば良さそうだ。

エルは、コンソールに両足を投げ出す。

操縦席のリクライニングが変形し、そのまま寝転がると物思いにふけった。


かつて地球という星に繁栄した生き物の話。

彼らは言葉の力によって大いに繁栄し、この星を覆い尽くした。人類は星を占い、自然を崇め、魂に祈りを捧げた。魂は人類を祝福し、彼らを導いた。少なくとも、ある瞬間までは。

しかし、いつしか人々は魂の存在、神秘の存在を信じなくなっていった。

星の大気中にあまねく存在する、プシュケーと呼ばれるエネルギーはときに神秘を引き起こし、人々を幻惑する。

かつて人類が行なっていた霊的な儀式の大半は、こうしたプシュケーを無害なものへ消化する変換器としての機能を持っていた。

しかし、誰もが神秘の存在を信じなくなり、そうした儀式も行われなくなっていった頃、地球上の重要なプシュケーリアクターが何者かによって破壊された。無害化されず、しだいに地球を埋め尽くしていったプシュケーは、人々の暮らしに怪異を引き起こすようになる。

ストーリーシューターたちの間では、そうした怪異はみな、子供の姿で現れ、死に近い場所や人間に引き寄せられるのだと言われていた。そして、そこには花が咲いているのだ、とも。

とにかく、怪異は地球上を埋め尽くした。

プシュケーは人間たちの中で積み重ねられた神話や物語、都市伝説といった想像のストーリーを具現化し、人類の92%を死かそれに類する状態へと追いやった。

なんとか地球で生き残っていた人たちは、事態を重く見た異星の存在(それが何であったのかはもう誰にもわからない)に助けられ、彼らに必要な最低限の知識と技術だけを渡されると、居住可能な近くの惑星をふたつ渡され、ふたたび霊的なものの存在を信仰し、畏怖しながら生きていくようになったという。

異星の存在は、余計なことは何も言わなかった。なるべく他の星の事情には干渉するべきではない、というのが彼らの言い分だった。それは、エルにもなんとなくわかる気がする。

われわれは何のために生きているのか。死後どうなるのか。宇宙の果てには何があるのか。意識とは何なのか。

そうした問題の答えを、簡単に教えられてはいけないのだと思う。

とにかく、人類はティエラⅠとティエラⅡという、太陽系内の居住可能な星を手に入れ、まあ何とかうまくやってきたようにも見えるし、まだまだ問題は山積みであるようにも見える。


怪異で大幅に減った人口を取り戻そうと、移住後の人類はとにかく多くの子供を産んだ。産まれてくる数以上に人手のかかる仕事は山ほどあったし、生活にも不自由はしないが、それでも子供たちのあいだに優劣はつけられるので、エルのようにまともに働かず、ふらふらしている若者も多かった。

昔よりも遊ぶ場所だけは広い。なにしろ宇宙は今や人類の遊び場だ。俺たちは宇宙を飛び回った。四本のマニピュレーターのついた、一人乗りの真っ白い汎用宇宙船を操る。未来を、娯楽を、まだ見ぬ物語を探して。

怪異に襲われ、地球を逃がれた人類は、それまで積み上げてきた多くの文化や物語を失っていた。

なにしろ、大半の物語はそれが現実の存在へと変化し、自分たちに襲いかかってきたのだ。それを回収することなど到底叶わない。多くの物語は今も地球に置きっぱなしだ。

彼らは文化を、物語を求めていた。かつて人類を豊かにし、失われた物語。詩、小説、絵画、音楽、彫刻、演舞、数学、その他……

だから、こうやってストーリーシューターのしているゴミ漁りにも、一定の需要は存在した。彼らが意味を持つ物語を手に入れれば、それは管理局に買い取られ人々の手に渡った。それでわずかながら地球の除染も進むわけだし、やらないよりはマシ、といったところ。

もし、地球がプシュケー汚染にさらされた原因や、地球上で広範囲に被害を与えた大きな物語を回収することができれば、俺みたいなクズでも、すぐに莫大な資産を得ることが出来るんだから……

「徳川埋蔵金みたいなバカ話ですね」

エルのつぶやきを聞いていたのだろう、リディが口を挟む。スピーカーの音量を上げると、リディのほうはずいぶん騒がしい。

「なんだ、それ」

「この前発掘された、小国の物語……というか都市伝説。昔から探索が行われていたそうですが、まあ単なる噂にすぎませんね」

そんな雑談をしながらもリディは、迫り来る何十本もの鋭い木枝に襲われていた。

街の広場に足を踏み入れた途端、煉瓦を覆っていた蔦が触手のようにうねり、リディの手足を縛り上げた。

生き物のように動く大木の化け物。御伽噺としては珍しくもない。

予想していた通り、今回の街は大した価値にもならないだろうとリディは思った。古くから祀られてきた大木が怪異のよりしろとなり、人々を襲ったケースはすでに12件報告されている。新鮮味に欠ける。

触手の絡み付く両足で地面を蹴り上げ、空中で三度、前転を決める。捻り上げられた蔦の触手が、耐えきれずバキバキと折れていく。

なおも迫り来る無数の植物たちを、両の腿から取り出した一対のブレードで引き裂いていく。自由になった足でひび割れた地面を踏み抜くと、大樹の正面を目掛けて跳躍。

ざらざらとした表面にブレードを突き立てるが、刃は通らなかった。

少し怯んだリディを、再び蔦が捕らえる。今度は完全に、彼女の肢体を拘束した。後ろ手に、何重にも蔦が絡まり、ブレードが手から滑り落ちる。

……リディは、首を締め上げられ動けなくなったまま、正面の樹を観察していた。

自然の作り出す脅威。

巨大な山岳や、激しい川の流れ。聳え立つ大岩。そういったものに神秘を見出し、御神体として信仰する民族は多かったという。自然は人々に多くの恵みをもたらすが、ときに容赦なく彼らを殺した。そうした恐怖が、プシュケーに侵され、増幅されて怪異を起こす。

「マスター、そろそろ」

「物語は見つかったか?」

リディにしろ、エルにしろ、これだけの状況に追い込まれながら慌てるようなそぶりはしない。特徴のない平凡な物語だけに、新鮮味もなかった。

身体を締め上げられ悶えながらも、リディはなんとか声を届ける。

「おおかた予想通りでした。リアクター展開の許可を」

言われる前に、マスターはプシュケーリアクターの起動を許可した。

リディの背中に装着された巨大なバックパックが開き、内部の構造物が蝶の羽のように四方に広がる。

250キログラムを超える今のリディの総重量のうち、5割強をこのプシュケーリアクターが占めていた。リアクターは虹色に光を放ち、周辺のプシュケーを反応させていく。リディを縛っていた植物たちはそれでようやく動きを止めた。

急速に成長していた枝葉の蕾が開き赤い花が咲き乱れる。瞬時に圧縮されたプシュケーの作用だ。

花は大樹を赤く染め上げ、やがて実を付けたかと思うと、重力に負けて落下する。

それは少女の姿をしていた。全高およそ120センチ。少女は柔らかい蔦の上に落下すると、赤い花びらに飾られて眠るように横たわった。

リディは蔦を振り解き、バックパック側面に取り付けられていた大柄な刀を構える。太腿に収納されていたブレードより何倍も大きく、刃先は振動し巨大な鉱石をも切断する。本星で土地の開発等に使用するにはライセンスを取得する必要があるが、地球で使用するのに制限は無い。誰も見ていないから。

刀身が起動し光を帯びると、リディは太い幹を真横に切り倒した。


地球の空は橙色からなめらかに色相を変え、夜が訪れようとしていた。

リディは背中の羽をはためかせたまま、足元に転がる少女の姿を見下ろす。

少女の姿は、何万という命を奪ったとは思えないほど安らかで静謐である。----いや、いつだって、多くの魂を奪いふたたび生み出すものは、安らかであった。

古来より、自然は慈愛によってあらゆる生命を育み、やがて荒々しい災害となって命を奪っていく。それがこの世界の原理である。

片手で少女の頬に触れる。

少女は呼吸をしているように見えるが、それもまた高濃度プシュケーの作用に過ぎない。

「やはり、この大樹がここでの怪異の中心だったようですね。ありがちな話です」

リディは何てことも無いようにつぶやくと、大柄な刀をバックパックのアタッチメントに収納した。

「それでは、回収を」

エルはモニター上で、物語を回収するためのプロセスを承認する。リディのステータスを通して、プシュケーの変換された物語が綴られていく。

〈それは、民族紛争に巻き込まれた小さな街の物語。捕らえられた大人たちは焼かれた街の中央で、一人ひとり撃ち抜かれていく。赤く染められる大木。銃創を刻まれ血を吸い上げる植物。少女はそれを陰で見ていた----〉

テキストはそこで途切れた。まとまった形の物語が手に入ることは珍しい。よほどプシュケーの濃度が濃く、強い意識を持つ人間が存在しなければ記憶の断片は霧散し消失してしまう。今回もやはりハズレだった。

エルは興味を失い、それ以上コンソールを見ることはしなかった。

警告を表すベルが鳴る。リディのパーツの異常を知らせていた。……これも、いつものことだ。

リディの眼球パーツに採用されている、透明サファイアにプシュケーが干渉していた。この小さな街を襲った悲劇の物語が、リディの瞳を揺さぶり、輝く宝石の粒子となって彼女の瞼から流れ落ちた。

それはまるで、リディが死んでいった人間たちを想って流す、アルミナの涙のようだった。

エルは黙祷する。

この瞬間だけは嫌いだ。




     3



人間一人が座るスペースしか存在しない小型宇宙船の中に、巨大なバックパックと拡張パーツの積まれた機械人形を格納する術はない。

本来は地上で、人間の日常生活や肉体労働をサポートするためだけに設計されたアンドロイドを、無理やり船のアタッチメントに接続し、宇宙空間に晒したまま運搬する。

はたから見れば、白くて丸い物体に人間が引きずられているように見えるだろう。しかも、今のリディはエネルギーの消費を抑えるためボディの制御を放棄した状態で、エルのポッドはティエラⅠへ向けて恐ろしいスピードで航行している。死骸を引きずっているようなものだ。

正規の打ち上げプロセスを経て地球を離れたとたん、リディはそれまでのように饒舌には話さなくなった。こちらから話しかけない限り、声を聞くことすら出来ない。

フルオートで動作し、幾度ものスイングバイを繰り返す機械群とは裏腹に、今回もマスターは暇を持て余している。

暇は嫌いだ。

目の前にやるべきことがなければ、人は嫌なことばかりを考え始める。

今のリディのように、考える必要のない時に思考のスイッチを切ってしまえれば。

……もっとも、人間から労働のほとんどの作業を奪ったのもまた機械に違いないのではあるが。

機械に任せきったせいで出来た暇な時間が、人間をかえって不幸にさせる。

今の俺のように。

エルが今までずっと考えないように努めてきた事実は、膨れ上がり取り返しのつかないところまで迫って来ていた。

恐らく彼にとって、次が最後の地球ダイブになるだろう。

その事実から目を逸らしたいエルを助けるように、目的地への到着を示すアラートが鳴った。

ここはエルの生まれ育った街。

ティエラⅠと呼ばれる星の中心、今の人類が持つ最も豊かな都市だ。

ここには大きな宇宙港があり、エルのように個人で宇宙に出るのも簡単なものだった。ここからであれば、軽い散歩のような気分で宇宙を飛び回ることが出来る。かつての停滞した人類の技術からは想像もつかないような生活が営まれていた。


港に到着すると、壁から伸びてきたマニピュレーターが船体を固定し、エルが契約している格納庫まで自動で運んでくれる。

船のハッチが開くと、ようやくエルはこの窮屈な箱から解放された。久々に地面を踏みしめ、まずは周囲を自分の足で歩き回る。

かなり質の良いリクライニングシートを搭載しているとはいえ、2日も座りっぱなしではさすがに堪える。ストーリーシューティングは往復の時間を含め、だいたい一度に2、3日で行うというのが普通だった。特別な許可が無い限り、それ以上は管理局が認めてはくれない。

それからエルは自分の機体の後部に回り、ここしばらくは声しか聞いていなかった相棒の顔を見る。

リディは何の変哲もない顔をした女性型アンドロイドだ。

昔からSF映画のお約束として、なぜかアンドロイドが美しい女性の形をしていることがあるが、こうして実際にアンドロイドが普及するにつれ、その気持ちもなんとなくは分かってきた。ただでさえ生身の人間を凌駕する性能を持った人形だ。少しでも柔らかい印象を持たせておかないと本能的に恐怖心が勝るものである。

しかし、今のところアンドロイドたちが人間に対して危害を加えたなどという話も聞かない。よほど人類には過ぎた技術が使われているのだろう、この人形には、人類にはいまだ解明しきれていない技術があまりに多く使用されている。

この人形たちも、かの異星の存在から送られたオーバーテクノロジーのひとつである。

過度な干渉を嫌う彼らが我々に送ったものは少ない。

ひとつは、絶滅しかけた人類を再び発展させるための土地。

太陽系の星をテラフォーミングするための技術は、地球を追われた人類にとっては不可欠なものだった。

もう一つは、その星を開拓するための資源。具体的には、あまりに減り過ぎた人類の代わりに作業を行うための人員の確保。

そのための手段として、アンドロイドの製造プラントを贈られた人類だったが、その技術自体はいまだに解明に至っておらず、自分たちでもよくわかっていないもので作られたアンドロイドを、おそるおそる使役するほかないのだった。

「とはいえ、」とは、エルの友人の談。

「人間は人間自身のことをろくに理解していないのに、平気で生きて他人と一緒に生活しているんだ。機械は人間に理解の出来ているものしか使ってはいけない、なんて言うほうが不自然だと思わないか?」

「機械が人間を殺した数より、人間が人間を殺した数の方が多いんだからな。それは言えてるぜ」

こういうことを言うのは、だいたいアンドロイドの不正改造に精を出す若者たちだった。誰にもその構造を理解できていないアンドロイドに対して、不正な改造も正しい改造もあったものではないし、事実アンドロイドがなにか事故を起こしたという話も出ないので、アンドロイドの不正な使い方については罰則など無いに等しい。

これだけ生活に浸透してきたアンドロイドに、いまさら嫌悪感を示す人間もいなかった。人類がこの地にやってきてから60年。もはや、かつての地球での暮らしを知る人も居なくなりつつあった。

人々は常にこの、感情表現に乏しい隣人とともにあり、機械人形が人で無いとは知りつつも、やはり愛着を持って彼らと生活を共にしていた。


エルは、今回も常識を超えた危険の蔓延る地球に降り立ち、怪異に襲われながらも帰還した相棒の姿を見る。

目視できる外傷はない。人間の素肌に近いコーティングをされているが、そのギリシャ彫刻のような完璧な曲線を持つボディは恐ろしく頑丈で、地球への大気圏降下すらも生身でこなしてしまうのだから、その性能の高さはかえって気味が悪いくらいだ。地球のプシュケーが見せる怪奇現象にも勝る魔法だとエルは思う。

とはいえ、見た目にはわからなくても地球から帰還したアンドロイドの消耗は激しく、リディの損傷部位を補修するコストも安いものではない。

装甲は傷ついていなくても、内部のパーツは霊障により歪んでいくことが多い。気付かずに使用を続けると取り返しがつかないことになる。

特に、眼球の損耗率が酷い。

視覚という高度な機能を持つデリケートな部位であるのに加え、眼は霊的にも重要な力を持つ。

古来より目に魔力があるとされる文化や伝説は数多く、地球のプシュケーも目に干渉して幻覚を見せたり、霊を取り憑かせるケースが非常に多い。

プシュケーは時に、アンドロイドにすら涙を流させる。魂を持たない人形に、何かを訴えかけるように。地球の物語には、アンドロイドの目を削り取り、無理やりに涙を生成させることくらい簡単に出来てしまう力があった。

修復が難しくなり、合成宝石で出来たリディの眼球をオーバーホールすれば、並の物語ひとつぶんの報酬などすぐに溶けてしまう。

エルは、リディの美しい瞳を覗き込む。

「そんな風に見つめられたら、恥ずかしいじゃないですか」

----もちろん、リディはそんなことは言わない。

地球に降りたリディの話す言葉は、プシュケーが形作る幻想で、リディが本当に意思を持っているというわけじゃない。リディは単なる人形だ。俺の声に答えてくれるわけじゃない。

テティスの言っていたことを思い出す。

いちど地球へ降りたアンドロイドは、戻って来ても意識を持ったまま、人間への復讐のときを待っている……

俺は、それでも悪くない。

エルは本気でそう思っていた。

たとえ恨まれていようが、人間から命じられるほかに生きる術を知らないリディの本音の言葉を聞けるのなら、それも悪くは無いんじゃないかな。

「パートナーとお楽しみ中だったか?」

不意に、後ろから声がかかる。

振り返ると、不健康そうな顔色の痩男が使い込まれた工具箱を脇に抱えて立っている。

「ああ、お前か……リュウノスケ」

「今帰ったところか、エル」

龍之介、と呼ばれた男は荷物を下ろし、エルとリディを交互に見た。彼らの表情を見ただけで、今回のダイブの成果を察することが出来た。

「相変わらず、難しいみたいだな」

「ちょうど良かった、中を見てくれよ。俺が見るより、ショクニンのほうが早いだろ」

龍之介は、地球の時代に日本で暮らしていた人間たちの末裔だった。多くの文化は人類から奪われていたが、名前だけはそれぞれの国に伝わる命名法を取る家庭は多い。

東洋人らしい体躯と技術力から、龍之介は日本語でマエストロを表すショクニンという渾名で呼ばれ、ことアンドロイドの改造についてはエルの仲間たちの間で重宝されていた。

「俺も仕事帰りで疲れてるんだがね……まあ、もののついでだ、見てやるとするか。どれ……」

龍之介は小型のタブレットと長さ15センチ程度のピンを手に取ると、リディのメンテナンスコードを送信した。

リディの肌が展開し、内部のパーツが剥き出しにされる。

そのまましばらく、二人は黙ってリディを見つめていた。

リディが今も意識を持っているとしたら、何を考えているだろうな、とエルは想像する。

きっと、男どもに身体中をくまなく観察されたところで恥ずかしくもないだろうが、きっとまた気安く文句のひとつも言ってくるはずだ。

今のリディに表情は無い。話しかければ本物の人間のように柔軟に動く唇で応答するが、それも発音をするための機械的な動作に過ぎない。

整った顔にも表情がなければ人間には見えず、街中を歩いていても、顔を見ればそれがアンドロイドか本物の人間かの見分けは簡単についてしまう。

「龍之介、お前は意識の問題についてどう思ってる?」

「魂のことか? ……俺は、地球にいる時のこいつらの意識は、本物だと思ってるぜ」

「プシュケーが見せた幻覚ではなく?」

「幻覚だろうと、それは本物だよ。そんなことを言ったら、俺たちの意識だって本物かどうかなんてわからねぇんだもん。

俺の家じゃ、長く大切に使われてきた道具には自然と魂が宿るって教えられたぜ。

今の地球は濃度が高すぎてわからなくなってはいるが、もともとプシュケーはどんなところにも存在する。それが長いこと生き物に触れているうちに、道具にも魂が宿るようになる。

アンドロイドたちに意識が宿るのも、それと同じ原理だと思うがね」

……。

エルはそれから何も言わなかった。

魂。生物にのみ宿り、意識を与えるもの。その正体を長きにわたり人類が知ることはなかった。今では、それがプシュケーという存在なのだと説明はされるものの、未だに理解の及ぶような代物ではなかった。

「一通り診てみたけど、酷いな。

内部の霊障が進んで、修復できるレベルを超えてる。いくつかのパーツは交換になる」

「そんなにか」

状況はエルが想像していた以上に悪いようだった。単純にコストの問題だ。地球にダイブするたびアンドロイドは傷つき、その修理を繰り返しながら地球を探索し、成果が出れば報酬を得られる。

その収入が支出を上回っていれば問題はないが、エルの場合は運が味方をしなかった。

もともと分の悪いギャンブルでしかない稼業だ。多くの若者たちがストーリーシューターとなるが、大半は資金が尽きて脱落していく。

だいたい今は、ろくに働かなくても生きていくのに不自由しない豊かさがある。アンドロイドにすべて任せれば労働など必要なかったので、人類は働かずに過ごす者たちにも暖かかった。とにかく多くの子孫を産み育てることのほうが重要なのだから当然だ。

エルも、このまま破産したところで何の不自由もないのだ。きっと家族に勧められるまま、テティスと結ばれ、暇潰し程度の仕事をしながら子供を育てる生活を送ることが出来るだろう。

でも、そんな暮らしに果たして納得が出来るだろうか。人間の心はそこまで単純ではなかった。

周りの人間たちに、そして気になる女の子に認められたい。

それは合理性とは別の、エルのプライドの問題だった。

「絶対に交換が必要なものについては任せる。どのくらいになる?」

言いながら、エルは自分のタブレットのモニターにクレジットの額を表示させ、龍之介に見せた。あまり直視したくない画面だ。

「そうだな。ほとんどのパーツならこの金額の中で抑えられるだろ。けっこう余るくらいだ。

----眼を除けば、だがな」

眼球。やはり問題はそこだった。

なおも龍之介は話を続ける。

「眼球の消耗はやはり激しい。前に交換してからけっこう経つが、思ったより早いペースで削られていってる。……女をよく泣かせるやつだな、エルは」

「……リディが泣き虫なだけかもしれないだろ」

確かに、リディは他の個体と比べて眼球の損耗率が高い傾向があった。

意識を持ったアンドロイドたちがどういう性格を持つかはランダムでしかなかったが、もしかすると涙もろい性格、などという個性があるのかもわからない。

とにかくリディは、どんな眼球に交換しても変わらず多くの涙を流した。地球のプシュケーが人形に意識と記憶を与え、眼球パーツを削り取り涙を流させる。もはや、涙もろい性格だから、とでも言わなければ説明が付かなかった。

いっそのこと、リディを捨てて新しくアンドロイドを買ったほうが安く上がるくらいの金額を、エルは眼球パーツに取られていた。それでも、リディを手放すということが彼には出来ないでいた……その結果がこれだと思うと惨めで仕方がない。

エルはため息を吐きながら腹を括ったように答える。

「わかった。眼球の交換はナシだ」

「マジかよ。視覚はアンドロイドにとっても重要な情報ソースだ。地球圏への突入・脱出シーケンスだって目視で微調整をしているくらいなんだ。ダイブの途中で眼球が壊れでもしたら、ボディの回収すら出来なくなるぞ」

「構わないさ。どうせ、次で最後になる」

とにかく、他のパーツの修理だけ龍之介に依頼すると、エルは都心へ向かった。家族の住んでいる家には帰らず、手頃なホテルに入るとそのまま眠ってしまった。










     4


それからエルは4日間、ホテルに滞在し、昼はベッドに寝転がり、夜になると繁華街をふらふらしていた。

もちろん、ほとんどは無駄に時間を浪費しているだけだが、それでも、次で最後になるであろう地球行への戦略を考えていた。

ストーリーシューターたちの集まるバーで情報を交換し、手元のタブレットで地球にまつわる最新のデータを拾い続けた。

そして彼は今、ティエラⅠでも有数の、高級ホテルのラウンジに座っていた。エルがよく寝泊まりしている安いホテルとはまるで違う、瀟洒な雰囲気にはエルの格好は似つかわしくない。

もちろん、そんな場所に暇つぶしに来ているわけではなかった。

待ち合わせの時間が来るまで、エルは相変わらず自分のタブレットと睨み合っていた。

「狙いは悪くないはずだ。大きな物語は、死者が多く出た場所に現れる傾向が強い。データベースにある地球の歴史を探り、目星をつけていけばそのうち当たる。」

自分に言い聞かせるように呟くが、その考えで地球へのダイブを続け、結局資金が尽きかけている現実もよく理解していた。

だいいち、場所に目処はつけられても、それが当たる確率はあまり大きくもない。ただのギャンブルでしかなかった。

エルは、自分が他のシューター達から集めた情報を頭の中で整理する。

怪異の物語は、すべて子供の姿であらわれる。

そして子供たちは多くの場合、人間たちを死なせたり、それに近い状態にしてしまう。

はじめは人が多く死んでいった場所……戦場や事故のあった街か、あるいは死に多く触れた人間の近くに現れる。

それから、花が登場することが多い。花の持つ性質や、伝承などが物語に関わることもある。

花は霊的に、感情や思い出を表すことがあるためだ。

そのあたりが、ストーリーシューターにとっては定説だった。

実際、エルもそのセオリーのとおり、戦争のあった国境近くの街で起こる、殺人と彼岸花の話や、殺しを仕事にする人間の前に現れる、言葉を持たない少女の話を手に入れたことがある。

物語が、完全な形で回収できた例は珍しく、それらは高値で引き取られたので彼はよく覚えていた。多くの場合、物語は箇条書きのようなものやピントのずれたような画像データ、誰かの話したセリフの断片ばかりで、まとまった物語の回収には至らない場合が多い。

彼が目指しているのは、より大きな魂、より多くの地域を浄化できるなにかの発見だった。

それはシューターたちのあいだでは、ストーリー・テラーと呼ばれている、プシュケー汚染の原因となった存在のことである。

今のエルが目指しているのは、そういう大きな獲物の居る場所だった。

「お待たせ。久しぶりだよね」

よく知っている声が聞こえてきたので、反射的に顔を上げてしまう。

顔を覆うように内外に巻かれた、柔らかい亜麻色の髪が揺れる。

テティスが、前屈みになってエルの顔を覗き込んでいた。香水の物ともシャンプーの物ともつかない香りが感じられる。

「……何の用だ? 俺はこれから用事が」

「地球へ降下するための手続き、でしょう? 私が担当するわ」

「いつ、そんなものに転職したんだ」

宇宙に国境はなく、誰もが自由に飛び回れるとはいえ、今の人類が開拓し所持している3つの星----それらはティエラ、と呼ばれているが----を行き来する際には手続きが要る。エルはその人物とフライトプランについて打ち合わせをするはずだったのだが。

「管理局だって、ウチの子会社みたいなものだからね。出向という形で私も担当は出来るの。もちろん、普段はこういう仕事をするつもりは無いけど」

なんでも無いことのようにテティスは言うが、若くして星の将来を担う重要な職務にあたり、出世していく才媛にエルは引け目を感じていた。

昔から、何をしてもこの人には勝てない。

家族同士の付き合いも長く、流されるように婚約者として扱われるようになったエルだが、それで対等になったつもりなどなく、引き合わされると却ってその差を見せつけられるようで惨めな気分にさせられた。

今度のダイブまで失敗すれば、エルはもう、テティスに対して意地を張る気力すら失ってしまうだろう。エルはどれだけテティスに惹かれていようが、いや、むしろテティスにこれだけ惹かれているからこそ、彼女の顔すらまっすぐに見ることが出来ないでいる。

「俺の実績を見れば、だいたいのことは分かるだろ。それとも、俺を笑いに来たのか」

「そうは言ってないじゃない。

危ない話だとは思うけど、私だってあなたが上手くいけば嬉しいって思うのは本当だもの。

まあ、地球について、ちょっと気になってることがあってね。そのついでよ。

それに、あなたにとっても、都合がいいんじゃ無いかな? 私、大抵のことなら〈見逃してあげられる〉わよ」

テティスが悪戯っぽく笑う。

テティスは生真面目で優秀だったが、いっぽう狡猾で欲深い人間であることをエルはよく理解していた。誰にでも優しく愛想の良い若者として受け入れられている彼女より、エルはテティスの薄暗さが好きだった。

子供の頃からやんちゃで乱暴だったエルに大人たちは手を焼いたが、そんな彼を連れ出し、彼以上に乱雑なふるまいをしてみせたのがテティスだ。彼女に悪巧みをさせればエルなどでは敵わない。

テティスといい、リディといい、どうして俺は毎回こういう女に振り回されることになるんだろうか。

本当にテティスが協力をしてくれるのであれば心強いとは思う。しかし一方、誰よりもエルの失敗を心待ちにしているのがテティスだというのもエルには分かっている。

テティスが、いちど捕まえた男を自分のもとから手放すなんて思えない。テティスが望むのは、俺がまた失敗をして、もう自分の力で成功しようなんて思わず、ずっとテティスの所有物として生きていくのを認めることだから。

「……本当に協力してくれるって言うんなら、俺の自由にやらせてもらう。フライトログは規定通り、3時間おきに送信するが、そちらからの指示は受けつけない。

それから、探索の期間はリディの連続稼働時間ギリギリまで伸ばしてもらうし、装備品も制限はナシだ。成功報酬の割合も上限いっぱいにしろ」

「いいわよ」

エルの無茶苦茶な要求を、テティスは一言で承諾した。

「そんなことだろうと思ったわ。

こちらからは一切、あなたのやることに干渉しません。失敗してほしいと思ってるのは半分正解だけど、もう半分は……」

「もう半分は?」

聞き返すが、テティスはエルの目を見ると、それきり何も言わなかった。彼女はそのまま時間が止まってしまったようにじっとしていたが、不意に顔を近づけると、キスをした。


テティスの言葉は気になったものの、少なくとも自分を邪魔するつもりがないというのは本当らしい。

エルはこの状況を最大限に利用するべく、戦略を練った。

龍之介に頼み込み、なるべく大容量のバッテリーを調達した。記載されているスペックが本当であれば、リディは14日ものあいだ地球を探索できることになる。

それだけ長い時間、地球に潜るというのは、大勢のストーリーシューターの中でもエルが初めてのはずだ。

これまでのエルの経験から考えても、降下するポイントさえ間違えなければ絶対に成果を上げることができる。

今までの負債を取り戻し、大きな利益を上げる絶好の機会だった。

だから、第一に気をつけるべき点はリディを降下させるポイントをしっかり見極めることだ。

やはり目指すべきは、北半球……ユーラシア大陸北西部が良い。人類の歴史上、もっとも長く発展し、様々な文化や芸術が生まれた場所。

多くの都市が密集しているため、複数の地域を移動すればたくさんの物語を回収できるはずだ。

もちろん、そのためにはリディの負担をなるべく軽減し、万が一にも途中で怪異に襲われ、損傷しないよう気を遣う必要があった。

エルは、自分の貯金を限界まで使ってリディのパーツを強化した。とはいえ、それでも高価な眼球パーツを買い換えられる金額には程遠かったが。

この計画を完成させるのにエルは5日を要した。

テティスも、このプランに対しては何も言う事なく、黙って承認を示すコードを送ってきた。


そしてようやく、エルの青春の全てをかけた地球へのダイブが始まろうとしていた。

再び港へやってきた彼は、職人の手によって完璧に調整されたリディを目にする。

外部に装着された多くのパーツが、今回のプランに合わせて新調されている。

長期の活動に備え、消耗しやすい装備は数を減らすことにしていた。

「具体的には、エネルギー消費の多い武器はほとんど外している。武器そのものに電力がかかるのは、背中のカタナと、念のため腰にマウントしてるレールガンのみ。あとはいつもの腿部ブレードとワイヤー、掘削用の機器など。シンプルな構成にしたぶん、予備を多めに積んでる。

まあ、もとのアンドロイドがバケモノみたいな性能なんだ、全部無くしてもステゴロで闘えるだろ」

龍之介は嬉しそうに一通りの説明を行う。これも技術者の性と言って良いだろう。完璧に仕上げられた仕事は彼にとって作品である。そして、それだけの誇りを持っている人間の仕事だからこそ、その精度は信頼に値する。

エルにもそれなりに知識はあるが、素人の考えで彼の仕事に口を挟んだりはしない。これも職人に対する敬意の表れだ。

エルは、新たな装いのリディを眺める。人間を模したボディはほとんどリアルな肌の色そのものだが、状況に応じて展開するパーツ群は白を基調に塗装され、ところどころにアクセントカラーとして、蛍光色のラインが入っている。今回はこの部分のカラーはグリーンでまとめられた。

エルたちの宇宙船もそうだが、こうした機器が白く塗られているのは宇宙空間での視認性を上げるためだ。目視にもレーダー光線にもキャッチしやすい。

それに地球のほとんどの地形においてもしっかり目立つようになっている。現在の地球は、砂漠地帯や雪の降る地域を除けば全ての地形は埃と植物に浸食され、無垢の白は存在しないからだ。

よく目立つということは、外敵からも視認しやすいということではあるが、そもそも地球の怪異は視覚などに頼らないので気にする必要もない。

万が一、リディからの通信が途絶えた場合、エルのポッドに搭載されたカメラ・アイで直接リディの位置を把握することになる。……もっとも、地球の地面を覗き込めば、そのカメラもまたプシュケーに侵され、高価な機材を破棄することになるので普通はやらないが。

「完璧だな、職人。これなら何の心配もない」

「俺はそうは思わんがね」

エルは素直に龍之介を讃えたつもりだが、彼は表情にやや翳りを見せた。

「やっぱり眼球のことは気になる。これだけプシュケーに侵されたパーツを放置するのは……

とはいえ、やれるだけのことはやった。あとはもう、天命を待つ、としか言えない」

彼は自分の祖先の言葉でそう話すと、格納庫から離れていった。

ここからが俺の仕事だ。

このダイブに、俺の全てが掛かっている。

俺の今まで積み上げてきた、安いプライド。くだらない知識。短い人生の全て。

使い慣れたポッドに乗り込むと、コンソール群が発光し、発進のためのシーケンスがスタートする。壁のマニピュレーターが動き出し、二人を広大な宇宙空間へと送り出す。

エルは眼前を覆う曲面のモニター越しに、かすかな光を放つ暗闇を見つめていた。





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