「きさッ…騙しやがって!」 キィッ、ズシュ…
「ガァ…フッ」ドサァ
とある路地裏、響くのは男の揉める声。
…そして刃のぶつかり合う音、人の倒れる音。さらに
「間抜けがよぉ? 簡単に信用するから早死にするんだろうが! ハァッハッハッ…」
先ほどとは別の声が高らかに煽り文句を吐き捨てる。
そしてひとしきり笑ったあとに
「路地裏上がりが色気付く資格なんて無いんだよ。 似合いの場所で臥せってな!」
恨みたっぷりにそう吐き捨てる。
その男は一方的な憎しみをぶつけたことに盲目し、周辺の注意を怠っていた。
いや、"暫くしてそれに気付いた"と言うべきが正しいか。
ふと薄い視線を感じ、右手の端を見下ろす。そして
「ガキ、何聞いてやがる。」
剣を抜き、汚れた布に身を包む少女の首もとにあてがう。
少女は動じる様子も無く、僅かにこちらへと顔を向けると
「ただの警告。」 「…何ッ!?」
一言だけ残し、淡く発光した"それ"は薄れるように消えていった。
その場には少女らしきものが纏っていたボロ布だけが、消えたことを表すかのようにヒラヒラと地面に落ちていく。
男は、足を振り上げて激昂した
「ッ舐めやがって!」 バサァ
この世界、身分格差が残る以上そのしがらみは人々の知りえない所にまで根を張っていた。
ゆえに、裏においては様々な”処理”を引き受ける者たちが存在するのである。
そんな彼らとは特定の手段を用いて連絡を取ることが出来、その取引の場は主に地下酒場が選ばれることがある。
とある少女もその腕の高さを買われ、この日も酒場の席に腰を下ろしていた。その内容は
「…見せしめ?」
「あぁ、そうだ。腕さえ良ければ少しくらいトクをしても良いだろ?
過去の栄光に胡坐をかく大人どもに世の本質を見せるってワケだ。」
少女は押し黙った。一人殺すだけであれば造作もないことではあるが、いかんせん頼まれて標的にするには問題の多い人物を指定されたのである。例えば
「私が殺すまでに首を繋げる自信、ある?」
「手はある。邪魔されない自信もな。」
「そう…危ないと思ったら直ぐにこの町を離れることね。同業ごと殺された例は嫌というほど聞くから」
「噂によらず親切なんだな。殺し屋って聞くから思わず…」
そんな呟きを止めた、背筋を走る凄まじい冷気。
首筋にヒヤリと感じるそれは確認する程でもない。
首一つ切り離せる鋭さを感じる長い刃物が、そこに突き付けられていた。
「あるのよね、先着の頼みで依頼人を殺すことが。」
「!…あ、おぉ。なるほど? 知っちゃいたけどそれは怖い事例だ…考えたくないな」
「同年代に見えたから油断した? 関係ないらしいから。消えた有名どころも大体そんなとこ。」
「あぁ、そうなのか。」
―少女をしてそう言う相手、名を“レスティン”と言う。
彼は路地裏身分を嫌う貴族一派に雇われた、名家の傍流出身と噂される裏処理屋であった。
それゆえ路地裏身分ゆかりの裏処理屋には彼に煮え湯を飲まされた者が多く…
誰に依頼されるでもなく彼の命を狙うものが後を絶たないのだ。
その末路は先の一言が示す通り、と言えば良いだろうか
(なるほど、レスティンか。しかし…)
隣の席で先の会話を聞いていた男がいた。
裏処理の動向を専門とした生業を持つ彼もまた、顧客を何人も殺されてきたレスティンに対して良からぬ感情を抱く人間の一人である。
(あんな子供が野郎に何の恨みが? それにこの依頼、受けた方が奴にとってこれ以上無い楔に出来るはず…)
そんな彼は、とある噂を聞きつけ一人の少女の動向を探っていた。
(本当に仕掛けたのかね、レスティンの野郎にあの”名無しのナナ“が。しかしあんなことが出来るレベルの工作屋、軒並み無関係だったようだけど…)
そんなことを考えている内に少年が席を発った。
少し遅れて男も動き始める。が、
「ねぇ、何してるの。お母さんが呼んでたよ?」「!!」
無邪気そうなトーン、疑問を浮かべたような顔をして、件の少女がこちらを見上げていた。
予想だにしない一声に男は狼狽するが、状況を飲み込むと"ダメ親父"を装いつつ気だるげに言い放った。
「…あぁ、行ってやらぁ。」 ガタッ
「あと、クレープ買って?」「だぁってらぃ!」
先程のやり取りの手前、二人は手を繋いで酒場を後にしていた。
他愛の無い捏造話を交わしつつ辺りの喧騒に紛れて男は切り出す。
「俺みたいな専門に顔突っ込むなんざらしくねぇだろ、殺し屋のガキ。」
「モゴ…褒め言葉?」
クレープをほおばりながらも男に返す声は微塵の動揺を漏らす気配すら感じさせない。
「そう感じる部分があるんなら皮肉との勘違いだよ…何を企んでやがる?」
「同業見舞い。異常は?」
「心配ありがとよ。まぁ知ったこととしちゃ、アンタが一番詳しい気もするが?」
フン、と鼻を鳴らす少女の表情が僅かに歪む。
しかしその変化すら真偽を悟らせる隙にはならず、即座に切り返して
「やっぱりもう一件。それ、揉み消すことって出来る?」
「やってみなけりゃ解んねぇや…解んねぇが、なんでまた」
―そんなことを依頼するんだ?
そう聞こうと少女の方を向くと、彼女は既に姿を消した後だった。
クレープ代のつもりだろうか、いつの間にか金の入った袋を握らせた手とすり替えて。
まじまじと袋を見つめていたが、何かを思い出したように顔を上げると
「…録な釘も打たずに消えるたぁ、迂闊なプロも居たもんよ。『探るな』なんて言われた覚えは俺には無い。ついでの危険手当にさせてやらぁな。」
そう言う男の口角は僅かに上がっていた。
罠の可能性がそこにあろうが、刺激されたプライドは男に止まることすら許さない。
そんな男がまず先に足を向けたのはとある路地裏。
("殺した直後のレスティンに少女の幻影が接触した"ってのが問題の噂か。聞いた状況からもここが現場候補と見て間違いない…こいつか!)
男はある気配を感じ取ると、しゃがみこんで地面を調べる。
(ビンゴ…だが、悪い想定は当たってそうだな。工作の気配が無い…)
そんな男を追跡する気配。圧し殺し損ねて漏れ出る嫌悪感、その主は
「…俺もマーク済みってか? レスティン殿」
「街角のカビ共に栄養を与える質の悪いゴミが…大人しくッ」
ヒュォッ、キィィン
振り抜く隙すら見せずにレスティンは抜いた剣で胴を薙ぎ、しかし男はその剣筋を片手で反らしてみせた。
「想定はするさ、死にたく無いからな。」
「ケッ、無駄にしつこくだけなりやがって…」
しかし、反撃の隙を見せない辺りにその道の長さが伺える。
(そいつが俺に向けられてるってことは本当に始末対象らしいな。並程度の殺し屋なら延命は出来るかもしれんが…いや?)
ふと前に聞いたある言葉が頭をよぎる。
―あるのよね、先着の頼みで依頼人を殺すことが。
(利用されたか…俺が彼女に?)
その疑念が手伝ったか、鋭くなっていた視線がレスティンを刺激したらしい。
「見下すな…地這い鼠の分際が!貴様らに名前を覚えられることすら虫酸が走るわッ」
「!…くそっ」キィッ、ドサァ
振り抜かれた剣は標準的ともいえる大きさに見合わず、攻撃を防いだ男を力任せに吹き飛ばし…
(やられる!…?)
そう覚悟しながらも急所を防いで二撃目に備えた男は静かになった状況に疑問を感じながら目を開けると。
「ハァー、ハァー…のガキが…」ドサァ
「油断禁物。」
見覚えのある少女が倒れる男の後ろに立っていた。
レスティンは深い傷を負い、崩れ落ちていく。
「た…助かった。けど、どうして」
「そっちの秘密が接触してきた。」
そう言いつつ少女は無い筈の上着の襟を整えネクタイを締める動作をする。
「…喧嘩別れしたっきり目もかけちゃくれねぇと思ったが、この身分に落ち着いた俺を…そうか、ありがとうな…しかし俺を消すつもりで誘導したんじゃ」
「だったとして、言うと思う?」「…だよな。」
界隈では当たり前のことを指摘され、男は項垂れる。が
「それはそうとこれを見て」 「お?」
男は少女が指し示す先、レスティンの遺体をよく見ると
「傷が…おかしい? いや、まさか!?」
少女が斬りつけた場所は人間なら即死しない筈の箇所である。
そもそも殺し屋を警戒すべき立場があっさりと殺されること自体が違和感の種であり、
芽生えた結論は…
(おいおい、奴の正体はゴーレムだったって訳か!? いや、それなら)
「はい、これ」バサッ 「うぉ…ってこいつの図面か!?」
返答の代わりなのだろう、少女が資料の束を男に渡す。
「自分なりに書き起こしただけだから信用はしないで。
…報酬分はやったからあとは自分でお願い」
「…元々おせっかいだったはずなんだがな。ともかく、ありがとうな。依頼主にもそう言っていたと伝えといてくれ」
男が言ったのを聞いたか否か、少女は振り向きもせずに路地裏へと消えていった。
(護衛も応用的に受ける、とは聞いたが…まぁいい。こいつさえあれば化けの皮を剥がせるな。今に見てろ…)
「言ったろ? うまく行くって」
少女を待ち構える少年の姿。顔を上げて少年の方を向くと
「護衛対象を囮に、ね…今後参考にする。じゃ、報酬。」
少年に袋を渡す。彼はそれを受けとると目を輝かせて顔を上げ、
「今の、褒め言葉?」
「初めてで嬉しいかも知れないけど、軍師目指すんなら私の立場からは言われて普通じゃない?」
言い放たれた言葉に一瞬落ち込むが、
「まぁ、そうか。今後ともご贔屓に。」
「それ、一生この立場に言い続けてたら殺すから」
「感じワル…でも向上心、だよな。確かに。」
少女は片手を上げて少年の言葉への返答とし、その場を後にした。
「じゃ、次はあの情報屋のオッサンだな。よし!」
少年も成功への喜びをそこそこに、その場を後にする。
それから裏処理屋レスティンが姿を消したのは数ヵ月後のことである。
一人の情報屋によって彼の正体が細身の魔術師だったことが暴かれ…
後にテロを起こそうとした罪に問われて薄暗い地下で膝を丸め、それきり地上に出ることはついに訪れなかったという。