「……どうだ!? いけるか、リン」
「コンビニスイーツにしては、絶品。味もいいけど、食感がすごい。
この食感の新しさは、商品開発力の強い大手コンビニチェーンならでは」
「ほぉほぉ〜……で、結果は?」
「……」
人の通りのない、のどかな田舎町の片隅。
静かな初夏の陽気の中、あたりには二人の話し声だけが響いて、美しく高い青空の中に溶けていく。
声の大きなほうは背が高く、白に近いショートウルフカットの金髪が、体を動かすたびふわふわと靡いた。金色の大きな丸縁メガネが顔を覆うが、それでもコロコロと変わる表情はわかりやすい。
「どう? 力、戻りそう?」
「ダメ……」
「ちょっと待て私にも一口ちょうだい」
そう言って、シキがトレーをぶんどり、その中に並んだ透明な餅を掴み取る。
「私のお金で買ったやつ……!」
「どっちが金出しても変わらんだろうがよ〜。もぐもぐ。
あ、私これけっこう好き。甘すぎないし」
もう一人、声に抑揚がなく、体も小さいリンが、奪われた自分の食べ物を取り返そうと掴みかかるが、身長の差は大きく、思い切り上に掲げられたトレーには手が届かない。
シキが、高く掲げられた手元のトレーを傾け、残っていたふたつの餅を、薄いリップのきらめく口の中へ流し込む。
「やっぱり、コンビニのスイーツじゃダメかー。
どうすんだよぉ。このへん、ここのコンビニ以外に食べ物売ってる店なんか無いぞー」
二人の前には、正面のコンビニで買った様々なスイーツが並べられている。
この町ーーというより集落といった感じだがーー唯一のコンビニで、片っ端からカゴに放り込んで買ってきた商品たち。
「私たちの力、ずいぶん弱まってきてる。そろそろ本当に……まずい」
リンは、言いながら手元のタブレットで検索をかける。
バスはもう出ない。
町からいちばん近い都市部へは、徒歩で行けば丸一日はかかる。
ふだんの力なら、もっと早く別の場所に移動することも出来るだろうが、力が弱まった今の二人にとって、それはあまりに危険なことのように思えた。
「……それで、どうするの。シキちゃん」
そう言われたところで、シキにもどうすれば良いかなど、考えるのも面倒臭くなってくる。
全体的に細いが体の線は柔らかく、一見すると男とも女ともつかない。夏の陽射しの中でもロングスカートに長袖の薄いニットで、あまり肌も出ていない分、体の特徴が掴みづらい。
シキはぶっきらぼうに、少年のような声で答える。
「どうするったって。ここでダメなら、あっちの人里のほうを見て回るしかないだろ。……だいたい、どうしてこんな田舎に来ちゃったんだっけ? 私たち」
「シキちゃんが、たまには山で過ごしたいって言うから……」
「なワケあるかい。私は毎日しゃれたカフェでごはん食べたいのさ。田舎はつまらない」
そういってシキはベンチに深く寄りかかったまま、隣に座るリンの頬をつつく。
リンはシキの隣に並んでいると、もともと小さな体がさらに小さく見える。童顔だが大きな目を包むアイラインはささやかに黒く縁取られ、人形のよう。真っ黒い髪が、六月の終わりの陽射しにも負けない白い肌と触れ合い、この山間部の田舎町には似合わない高貴な雰囲気を纏わせていた。
「いや、間違いない。シキちゃんが来たいって言った。……ほら、日記にも書いてある」
リンは、先ほどからずっと触っていた、大きなタブレットの画面を突きつける。
〈リンのツイート 6月26日
シキちゃんが、今度は自然のあるところに行きたいって言った。
「もう東京は飽きた。狭いし。山って最高だよな」って……(;´-`)
シキちゃんが東京来たいって言ったんだよね!?o(`ω´*)o〉
「……そんなこと言ったか私」
シキは自分の言ったことなど覚えているような性格ではないが、リンが言うならそうなんだろうな、と思うことにした。ここで何を言い返しても、リンには勝てない気がする。
リンの小さな両手に握られている端末を漁れば、私がいつ、どんなことを言ったのか記録した証拠が山ほど出てくるんだろうなー、と思う。
リンは無口だが、画面の中ではずいぶん饒舌だ。
「まあいいや。とにかく、この暑いなか何時間も歩くよりかは、あっちの集落でなにか美味しいものを見つけるほうが早いだろ。
こんな場所なんだ。なにか珍しいものが食べられるかも……」
そう言ってシキは立ち上がる。細かいことは考えない。余計な荷物も持たないし目的地も決めない。身軽なほうが人生は楽しいものだ。
ーー私たちは人じゃないけど。
シキは何も持たず、軽やかに歩き出す。動きやすさを考えて選んだ流行りの白いスニーカーが、日差しを反射してきらめく。
リンは脇に置いていた黒いリュックにタブレットを詰め込むと、早足でシキを追いかける。
鞄どころか財布すら持たないシキと反対に、リンのリュックの中にはスマートフォンやノートPC、通信用のwi-fiルーターに携帯ゲーム機まで、たくさんの電子機器が詰め込まれていて、かなり重い。
身長が高いうえに大股で歩くシキについて行くのは、リンにとって大変なことだ。特に、弱った今の体では。
「もう慣れてるけど……少しは私に合わせて、シキちゃん……」
まったく、どうしてこんなに性格の違う私たちが、ずうっと一緒に旅なんか出来てるんだろう。
……とにかく、今はお菓子を探すことのほうが大切だ。
私たちには美味しいスイーツが必要なのだーーそう、生き残るために!
______
さっきまで二人がいた、広い道路沿いのコンビニの辺りと比べれば、集落のほうは民家が多く、それなりに人通りもあるようだった。
二人はこの土地に来た最初の日にも、この辺りを見て回ったが、その時は人里に興味などなく、すぐ山の中に入り静かに暮らしていた。
ろくなネット環境もない川沿いの洞窟はリンにとって心地良いものでは無かったが、これも慣れてしまえば大した問題ではなかった。
そうして、のんびりと自然の中で暮らしているうちにーー
「なんか最近……力、弱くなってない? 私たち」
「えー? まだ大丈夫だろ。ほら、京都で買ってきたお菓子もまだ残ってる」
「まあ。それなら別にいいけど……」
そうは言っても、ずっと同じスイーツばかり食べていると飽きが来るし、だんだん回復する力の量も減ってくる。
それでも、本当に危なくなったらすぐに街まで飛んでいけば良いと思って、気を抜いていたらこの始末だ。
「まったく……シキちゃんは、うっかりしすぎ。知能が犬」
「うるせーな。私はリンまで呪いのこと考えてなかったのが驚きだよ。覚えて無かったの?」
「私は……ちょっと」
「知ってるぞー。最近、ネットで配信してるアイドルをずっと追いかけてるだろ」
「推しが増え過ぎて……アーカイブを全部チェックしてたら、つい」
「……バカじゃん」
長く連れ添った者同士、軽口を叩きあいながらも、二人の体力はだんだんと弱まってきていた。人ならざる力を持った妖怪とはいえ、スイーツの無い今の二人は、力を温存している限り、普通の人間と大した違いもない。
今のままでもそれなりに力はあるし、生きているだけなら何日かは生きていられるが、このままでは、少し余計な力を発揮すれば命に関わる。何より、お菓子が切れてしまうと、身体が飢えて胸が苦しくなってくる。この中毒症状のほうが困りものだ。べつに、死ぬのが怖いとも思ってはいないが、生きている以上、苦しみは耐えがたい。
妖怪。
古来より日本の各地に伝説として残る異形のものたち。
人とともに生き、時には守り、時には無慈悲に殺して見せた化け物。
彼らの多くは、人間の社会が豊かになっていくにつれ、力ある者に退治されてしまうか、自ら役目を終えたことを認め、闇へと消えていった。
神秘を必要としなくなった人間たちにとっては、霊魂も信仰も邪魔なものでしかなかったのだ。
今では、自分たちのほかにどれくらいの妖怪がこの国で暮らしているか、二人にも分かったものではない。
そう簡単に死ねないというのも、時代が下れば寂しいものだ。……まあ、いま死にかけてる真っ最中の奴が思う事ではないが。
「私はもういいや。これ以上食べてると、本当に吐きそう」
ベンチに置いたビニール袋に詰まった、大量のお菓子を眺めながらシキは言った。
「いい加減慣れなよ、シキちゃん……相変わらず、甘いものは嫌い?」
「嫌いだね。だいたい、この私がどうして人間ごときと同じものなんか食べなきゃいけないんだ。本当なら、今ごろ欲なんて断ち切って悟りを開いてるはずだったのに。呪いのせいで、私はいまだに欲望まみれだ」
「シキちゃんは、呪いなんてなくても欲望まみれだよ」
「なんだとー」
二人はまた軽口を叩き合いながら、近くの町のほうへ向かうと、いちばん人通りの多い場所を道なりに歩いてみる。
周辺には小さなスーパーマーケットに八百屋、魚屋と警察の出張所。
それから、常連客が店員と気さくに話をしている喫茶店がひとつ……ここは酒も出しているようだが、甘味の類は無さそうだ。
「……なぁ、この辺のお店って、これだけしかないの?」
「そうみたい」
街には住民が少ないわけでも無かったが、みな自家用車を所有していて、休日はたいてい都市部へ出かけてしまうので、店は多くなかった。
仕方なく、二人は通りを外れ、住宅がぽつぽつと並ぶほうへと歩いていく事にした。
だんだんとあたりは静かになり、大きな一軒家が時おり見えるだけになった。
二人がずっと住み着いていた山の頂が、どこまでも続く畑の奥に見える。
あとは本当に何もない。
「……どうするの、シキちゃん。やっぱり引き返す?」
「引き返してどうする。さっきのスーパーに戻って、安いスナック菓子でも買うっての? それなりの逸品でもなきゃ、私たちの力は簡単には戻らないよ」
「最悪、街の人に頼んで車でも出してもらえば」
「癪だけど、まぁそれも悪くないかぁ……
いや、でもやっぱり癪だわ。さすがに人の子に施しを受けるとか、ちょっとどうなのよ私ら的に……もっとこう、人に畏れられる存在としてさあ」
シキはブツブツと言いながら、自分の命とプライドを天秤にかけ始める。
そうして考え込みながら歩いていたので、リンが何かに気付いてその場に立ち止まったことにも、しばらくは気付かなかった。
「……なあ、リンちゃん。私の話聞いてるー?」
振り返ると、リンはずいぶん後ろのほうで、何やら古びた民家の、寂れた木製の門戸を眺めていた。
「どうしたの?」
「……見つけた」
リンのもとまで引き返してきたシキが、彼女の目線の先を見やる。
だいぶ掠れた筆跡だが、表札の下に置かれた木板の文字は読み取れた。
ーー大山の伝統和菓子 カフェスペースあります。
「……私たち、本当に運が良いな」
二人はゆっくり顔を見合わせると、歯を見せて微笑んだ。
____
門戸はだいぶ古びていたが、軒先は掃除の手が入っていて、人の気配があった。
垣根の向こうの敷地は飛び石の連なる庭になっていて、その奥に大きな玄関がある。
そこは茶屋というよりかは普通の民家で、恐らく客も滅多に来ないようなところなのだろう、趣味半分の古民家カフェといったおもむきなのだろうとシキは思った。
シキが玄関のほうで声をかけようとする直前、家の中から飛び出してきた、小さな人影とぶつかった。短い、悲鳴とも取れる声があたりに響く。
「えっ? 誰……?」
鉢合わせたのは、よく言えば素朴というか、いかにも田舎らしい普通の格好をした女の子だった。きっとこの家の子供だろう。
首には紐で結んだ布の財布を下げていて、半袖のTシャツにハーフパンツという格好から見て、お昼ご飯の買い物といった感じがした。
考えてみれば、ちょうどお昼時だったのを思い出す。
「……あの、うちに何か?」
少女は少し不安そうに、まずはシキのことを、それから、遅れて後ろを歩いて来たリンのことを観察した。
シキは、身長の高い自分が彼女を怖がらせてしまっているのにすぐ気が付いて、その場に屈むと女の子に話しかける。
「あー、急にごめんよ。今日はお店は開けてるのかな」
「お店?」
女の子はよく分からないといった感じで少しそのまま考えていたが、ようやく何か理解したように口を開いた。
「もしかして、おじいちゃんのお店ですか? おもての看板の……」
その反応で、なんとなく二人は察しがついた。
(たぶんこの店、もう何年も開けてないな)
女の子は最初、二人のことを怪しんではいたものの、合点がいったようで二人を中に通してくれた。
「何年か前まで……私が小さな頃だったけど、たまにお客さんも来てて、雑誌とかで紹介してもらったりして。米子とか、松江のほうからもけっこう人が来てたんですよ。
ネットとかでもわりと話題になってて、遠くから旅行に来た人も、写真とか撮っていってくれて。
その時は、私もお手伝いして、お茶とか入れたりしてたんです」
家に入ってすぐの応接間と台所は大きく開かれて、喫茶店のようにテーブルがいくつか置かれていた。旅行客向けの店として趣のある内装、と言えるかもしれない。
壁の黒板には、雑誌の記事の切り抜きや、テレビの画面をプリントした写真用紙とともに、チョークで品書きがされていた。
「急に来ちゃったのに、ありがとね。お店はもう、やってないんじゃなかったの?」
「はい、去年の終わりに」
慣れた手つきでポットの麦茶を入れながら、女の子は話をしてくれる。
普段着の上に、いつも使っているものだろう、〈若菜〉と名前の書かれたエプロンを着ている。
「でも、おじいちゃんのお菓子が食べたくて、わざわざこんな所まで来てくれたんですもんね。せっかくですから……」
それで二人とも、どうしてこの子が親切にしてくれるのか、何となく理解した。
私たちを、古いネットの記事か何かを見てここまで来た観光客だと思ってるわけだ。
今さら、たまたま通りがかっただけだと訂正するより、話を合わせておいたほうが得だ。
「あー、どうしてもここのお菓子が食べてみたくてー。もうお店が閉まってるなんて知らせも無かったしぃー」
こういう時に悪知恵の働くのがシキだというのを知っているリンは、黙ってはいたものの、
(鬼だ)
と内心思った。人の弱みに付け込むことに何の躊躇いもない……
もっとも、シキは妖怪であるが、種族で言うと鬼ではない。
それに、飢えているのはリンも同じだった。
(でも、これで運良くおじいさんを呼んでもらって、ひとつお菓子を作らせれば、ひとまず死にはしない)
とにかく、なんとかしてこのお店のお菓子を食べたい。
二人の気持ちはひとつだった。こういう時だけ気が合うのが、私たちのしょうもないところだ。リンは自覚している。
シキの言葉を聞いて、若菜という女の子は申し訳なさそうな顔で答えた。
「本当は、今からおじいちゃんを呼んでお菓子を作ってもらいたいくらいなんですけど……今はちょっと、大変で」
「どうして……?」
今度は、リンが続きを促す。
「もともと、体力が落ちてきたからお店は辞めちゃったんですけど、それでも趣味でお菓子を作ったり、私と一緒に料理をしたりは、してたんです。でも、ここ2週間はどんどん体が悪くなってきてて。これは、うちのおじいちゃんだけの話じゃないんですけど……」
若菜はそう言ってから少しの間、何も言わずに黙っていた。
「とにかく、それでおじいちゃんは、最近はずっと寝たきりなんです。本当に、ごめんなさい……」
そうして、深く頭を下げた。
さすがに、これにはシキも申し訳なくなった。立ち上がると、若菜のことを撫でて、なんとか慰めようとしてやる。
「ごめんね。そんな大変な時に……そういうことなら、私たちも何も言わないよ。
あー……そうだ、お菓子、食べる? これ、全部あげるからさ」
そう言って、先ほどコンビニで山ほど買ったお菓子を持たせてやる。
「いいです……もうお昼ですし……ご飯買いに行かなきゃ……」
シキは若菜のことを抱いて宥めようとするが、うまく行かずにリンのほうを見る。
リンは、シキの助けを求める視線には気付かず、しばらく、部屋の周囲を見回していた。
それから、何か思いついたように立ち上がると、若菜に近づく。
「若菜ちゃん……お昼、なに食べるの?」
「ふぇ……? 何も考えてません、けど……」
「そう……それじゃあ、待ってて。
私が買ってくるから。……お話、聞かせてくれたお礼」
それだけ言うと、リンはリュックを背負い、小走りに外に出て行ってしまった。
あとには、なかなか泣き止まない子供と、シキだけが残された。
(……リンのやつ、逃げやがった!!)
リンの奴はマジで鬼だ。
シキは若菜の背中を撫でながら思った。