12時を知らせる時計の鐘がなり、ボクはふぅ、と一息ついて、それまで書いていた小説にひと段落をつけた。ボクは今、ヒトがよく読んでいるという小説に挑戦している。今までの活動とは全く関係なかったが、外界の本を読んで以来、この『想像のお話を文字に起こす』ことにドハマリしてしまったのだ。
「おつかれさまです~、炎鬼ちゃん」
友人であり何かとサポートをしてくれる梅鬼くんがお茶を持ってきてくれた。梅鬼くんはボクがちょうど節目になったというタイミングを知っていたかのようにいつも現れ労ってくれる。
「ありがとう、梅鬼くん。ちょうど小説がいいところまできてね、一息ついていたところだったんだ」
丁度良いところに、と何度言っただろうかと思いながら感謝の意を述べる。
「それで!小説の方はどうですか!?炎鬼ちゃん!!私、続きが気になって気になって・・・」
梅鬼くんはカップを机に置くとすぐに目を輝かせて尋ねてくる。作家冥利に尽きるというものだ。
「うーん、あとちょっとで完成かなあ。今回のは前に出したのより長くなりそうだよ。せっかくだから出来たら読んでみてね」
苦笑いしながらボクは答える。ここのところ毎日この調子だ。
「はい!楽しみです~。学校の子たちもね、早く続きが読みたいって言ってますよ。でも凄いですね、炎鬼ちゃんは。あれだけみんなが興味ないって言ってた『しょうせつ』に今じゃ誰もが夢中なんですから」
「そこはね・・・鬼とヒトじゃ、かなり好みとか考え方が違うからね。でもそこさえ何とかしてあげればやっぱり鬼も空想のお話を楽しめるってことじゃないかなー」
鬼は元来、“実際にはなかったこと”を話すということを殆どしない。ましてや文章にしたり読んだりなんて、意味が分からないといった感じだ。ヒトの描く御伽噺に魅了されたボクはかなり珍しい部類だろう。
しかし、そのボクから見てもヒトは感受性が強いというか、他人や未来のことを想像しては、勝手に怖がったり怒ったりする傾向にあると思う。ヒトの本を読んでいる最中は、よくこんなにも他人を気にして生きることが出来るなと思ったものだ。まあそういう事が小説を生みやすくしているのかもしれないが。
などと考えていると梅鬼くんが「あっ!」と思い出したという風な表情を浮かべて言う。
「そうでした!そういえば今日は久しぶりに炎鬼ちゃんに患者さんが来てますよ!」
患者さんというのは、ボクのメインの活動の方の用事という意味だ。ボクは治療をする事が得意なため、たまに負傷したものが訪ねてくるのだ。
「しばらくは医者の方はやる事もないと思っていたよ。それでどんな患者さんなのかな?」
ここしばらくずっと小説を書いていたため、良い気分転換になるだろうと思い尋ねる。
「それがですね~今回はなんと!人間の子なんですよ~」
そうかー人間か、珍しいこともあるもんだ・・・・
まあそういう方が刺激に・・・・・
ん?にんげん・・・?人間!?
だんだんと言葉の意味を頭が理解し、そして爆発する。
「いやいやいや、梅鬼くん、人間の子が来てるの?!なんで!?というかオサは!?」
慌てて尋ねる。頭の理解が全く追い付かない。
「ええ~長は無害そうだから放っておいても大丈夫だろうって。そのうち勝手に帰れるだろうから今のうちに遊んでいけばって言ってるんですけど・・・どうもその子が体調悪いみたいで。それで炎鬼ちゃんのとこに連れて来たわけです」
ボクの方も体調が悪くなりそうである。
「そ、そういう大事なことは先に言ってくれ梅鬼くん・・・。」
鬼の里にヒトが迷い込むことはままある。しかし大抵すぐに逃げ帰ってしまうし、鬼とヒトが積極的に交流することは今まで無かった。長もずっとそういうスタンスだったはずだ。
しかし、ポジティブに考えれば小説を書くボクにとっては格好のネタを収集する機会ではないか。何よりヒトの想像力は直に見習いたいところでもある。
「ま、まあ話は分かったよ・・・それで?その子の事を診てあげればいいのかな?ヒトの子に鬼の医術が効くか分からないけどさ」
「ありがとうございます~。さすが炎鬼ちゃん!今連れてきますね」
梅鬼くんは小さい子に物事を教えるのをメインの活動にしている。だからか、今もどこか嬉しそうだった。
「は、はじめまして・・・」
目の前のヒトの子―おそらく10歳前後の女の子だろう―、は床を見つめたまま答える。おそらくとても緊張しているのだろう。
梅鬼に聞いたところでは、最初は鬼に怯え、異界の地に混乱していたそうで、今はだいぶ落ち着いたとの事だったが、まあ無理もないだろう。
「やあ、ボクは炎鬼。えーと、まずは名前を教えてくれるかな?」
「・・・小夜です。12歳・・・です・・・」
やはりぎこちなく答える。そういえばヒトの書いた小説には鬼は人間を食べるという描写があった。もしかして今、物凄く恐れられてはいないだろうか。
「小夜ちゃんか。いい名前だね。ここへは、鬼の里へはどうやって来たのかな?」
「え、と・・・川で遊んでいたらいつの間にか・・・」
そういえばヒトと鬼の世界は境界線を渡る時に最も繋がりやすくなると聞いた事がある。
「そうか、ありがとうね。しかし鬼もヒトも川で遊ぶのは変わらないんだね」
笑いかけながらそう言うと、梅鬼くんも
「ちっちゃい頃は私と炎鬼ちゃんも川でよく遊びましたね~。魚釣ったりして~」
ふふふ、と合わせる。小夜も緊張がほぐれてきたのか少し笑顔になってくる。
「はい、わたしもよくお魚釣りをします・・・。お、泳いだりも・・・」
「うんうん、いいね。ボクもそろそろ泳ぎにいきたいよ。」
軽く相槌をうつ。梅鬼くんと川で遊んだ時、正確にはボクが炎で川を沸騰させたり地形を変えたりして干上がらせてから魚を獲ったのだが、そこは喋らずにいてくれた梅鬼くんは流石だ。
「まあヒトが迷い込んじゃうことはたまにあるみたいだけどね。大体いつの間にか帰れてるものだよ。だから心配せずにゆっくりしていくと良いよ」
「そ、そうですか・・・良かった、です・・・」
小夜の反応に少し違和感を覚える。あまり家に帰るのが嬉しくなさそうな感じだ。梅鬼くんもそう感じたのか、あらら、と少し困った表情を浮かべる。
「どうしたんだい、帰りたくはないのかな?」
「そういう訳じゃないんですけど・・・・・、村にいるとやらなきゃいけない事は沢山あるし、気を遣うしで・・・だから、こっちに来れて・・・実は少しホッとしてるんです」
再び暗い顔をして、ぽつりぽつりと小夜は語る。ヒトの生活がどういうものなのか?ボクたちはたまに流れ着く人間の漂流物で知るしかないが、こうして聞くとなかなか大変そうである。
「まあゆっくりしていけばいいよ。それで、体調の方は大丈夫なのかな?」
ヒトの生活についてもっと深堀りしたかったが、小夜が楽しく話せるとも思えない。ひとまず本題を片付けようと尋ねる。
「それが・・・今はそうでもないんですけど・・・よく気分が悪くなるんです。歩いていると、とても気持ちが悪くなったり、食欲がなかったり」
「うぅーん、それは大変ですねえ~。」と梅鬼くん。
「それなら胃腸の病かな?でもこっちに来てからは体調はいいんだよね?」とボク。
「はい、最近はかなりいいです。でもまた再発するかも・・・」
小夜は不安そうに答える。
その時、ボクはピンときた。もしかしたら、小夜の体調が悪い原因は外傷や病気によるものではなく、精神的なものなのかもしれない。鬼にも極まれだがそういう例があったのを思い出す。直感だが、ヒトなら鬼の倍は心が原因で病が起きてもおかしくない気がする。
「・・・なるほどね。ではちょっと診察してみよう。お腹を出してくれるかな?」
そう言いながらボクは手に力を込めると、ボンッ!という音とともに、小夜と変わらない形をしたボクの腕が、一瞬で鬼のそれに変わる。
「ひっ・・・!」
驚いて小夜が少し身を引くと、すかさず梅鬼くんが優しくとりなす。
「あらあら、ごめんなさいね~小夜ちゃん。突然で驚きましたよね~。でもね、炎鬼ちゃんがこの手で触ると、病気の原因とかが分かるんですよ。だから・・・ね、ちょっとだけ我慢してくれますか?」
「・・・・分かりました。」
少し迷ったが意を決したのか、上着をあげて見せる。ボクは出来るだけ優しくゆっくりと触れた。意識を集中すると、臓器の、身体全体の『氣』の流れが伝わってくる。ヒトと鬼は内部構造も違うが、これなら問題なく診れそうだ。そして、やはり悪い部分があるようには思えなかった。
「ありがとう。もういいよ。」
ボクは再びゆっくりと手を離す。やはり、精神的な悩みが原因とみていいだろう。。
「あの・・・やっぱり私は病気なんでしょうか?治るんでしょうか?」
「うん、それなら安心していいよ。絶対に治るよ。でもそれには小夜ちゃんにもう少し話を聞く必要があるかな」
「さすが!やっぱり炎鬼ちゃんは頼りになりますねえ!小夜ちゃんも治るなら良かったですねえ」
「良かったです!でも私の話、ですか・・・?」
感心する梅鬼くん。でもそう、ここからが問題だ。鬼のボクたちではヒトである小夜の心の問題というのをどこまで分かってやれるだろうか。
しかし、ともかく聞いてみないことには始まらない。それに小夜の話を聞くことは、きっとヒトの想像力のヒントになることがあるような気がする。
「うん、そうだよ。たぶん小夜ちゃんの体調不良は心の問題なんじゃないかな。だから小夜ちゃんの話を聞けばきっとそこに解決のヒントがあるよ」
「う~ん・・・そうですか・・・」
おそらく心と身体の問題がリンクしていることに納得がいっていないのだろう、小夜からは歯切れが悪い返事がかえってくる。
「まずは、そうだな・・・小夜ちゃんはヒトの村は大変だって言ってたよね。なんでかな?」
「・・・それは・・・私は村ではよく『変わってる』って言われるんです。同い年の子と同じものに興味を持てないし、与えられた仕事も上手くできません。とろいって言われるんです。川で遊んでいたのも、その、みんなから仲間外れにされて、それで・・・!」
堰を切ったように話し始める小夜。
・・・これは少し困った。大変そうなのは伝わってくるが、小夜の悩みはやはり鬼の常識と大きく乖離しているようだ。正直、何が心を病むほどのことなのかさっぱり分からない。案の定、梅鬼くんも困った表情を浮かべている。
「えーと、小夜ちゃん・・・?変わってるって何かダメなことなんですか?友達って必要ですか?仕事っていうのは絶対やらなきゃいけない事なんです?」
「・・・!それは、そうですよ!お仕事をしなきゃ食べていけないし、周りに合わせられなきゃ浮いてしまいます!友達ができないのは変なことで、嫌なことばっかりになるんです!」
少し怒ったように小夜が言う。どう反応してよいものか、ますます戸惑いながらボクも話を続ける。
「周りから浮くと何か困るのかな?別に一人でもいいじゃないか。食べ物なんて最悪、他の子に恵んでもらうとか野草を食べるとかしてもいいし、仕事とやらをしないと絶対に生きていけないのかい?」
「・・・!」
小夜は何か驚いたように固まった。それが良いものなのか、悪いものなのか測りかねていると、
「でも!炎鬼さんはお医者さんのお仕事をしてるんですよね?梅鬼さんも先生のお仕事をしてるって聞きました!それは生きるためじゃないんですか?」
やはり強い口調で返してくる。
「私は子どもの面倒見るのが好きですからね~。あとは梅のお世話もしますけど、あまり深い理由はないですねえ。あと、私は梅鬼ちゃん以外友達はいませんよ~」
「ボクは昔から患部を視るのが得意でね・・・治療してあげると喜ぶからやってる、かな。最近はめっきり出番が減って暇だったんだけど、また楽しいことを見つけてね。小説ってやつを書いてるんだ。結構、これまたみんな喜んでくれてるんだ」
ちなみにボクは結構友達がいるが、今は言わないでおく事にした。小夜はボクたちの返事で今度は泣きそうになっていく。
「皆さんは・・・鬼はいいですね・・・そういう風に考えられて。でも人は鬼と違うんです!私は・・・無理です」
「それはなんでかな?」
「なんでって・・・やっぱり怖いですよ。周りに傷つけられたり・・・お金が無かったらもしもの時にきっととても困ります。鬼は困った子を助けてくれるのかもしれないけど、人はどうするかなんて・・・」
確かに、どうやらヒトと鬼の価値観は仕事も社会も随分違うようだ。でも問題はそこだろうか?・・・心の病という点では、根本的には違うんじゃないだろうか。
何となく分かってきた。これは小夜の小説なのだ。小夜は彼女自身を主人公に小説を書いて、そしてそれを読んで絶望している。
何か解決策があるはずだ、でもそれはボクたちの力でどうにかするものではない。小夜自身が乗り越えられなくては、この先また同じことを繰り返してしまうだろう。その時、ふと思いつく。そうだ、もしかしたら・・・。
「小夜ちゃん、じゃあ一緒に小説を書いてみないかな?」
ボクは書きかけの小説をチラっとみてから、言った。
「小説・・・ですか?」
「そう、小説。まずはね、小夜ちゃんが一番『こうなったら嫌だ』っていう、最悪なことを想像してみてよ」
「最悪な・・・こと?」
「そう、こうなったらオシマイだ、ってことさ」
「それは・・・」
少しだけ小夜は思案する。
「友達が一人もいない、それでできる仕事もない、お金もなくてご飯もない、頼れる人もいない・・・って感じです。」
「ありがとう。じゃあ小説の主人公がその状態ってところからスタートしよう。主人公はどうすればハッピーエンド・・・めでたしめでたしで終われるだろう?」
小夜は少し上を見て、それからすぐに目を落とした。
「どうって・・・無理ですよ。もう詰みの状態じゃないですか。」
「そうかな?でもそれじゃあ話が前に進まない。何でもいいから話を動かしてみてよ」
拗ねたような口調で返しながら、小夜はそれでも考え始める。
「ええと、それじゃあ友達がいないのは会った人の数が少ないとか・・・それならまだ会ったことのない人に会って、趣味も探してみるといいかもしれません。」
「おお、いいじじゃない。その調子だよ。」
その時、少しずつだが小夜の声に力が入った気がした。それはボクから見て、驚くべき変化のように思えた。
「お金がないなら・・・村長やみんなからお金を借りて、何か他のことを始めるべきかもしれません。でも主人公に向いている事が無かったらどうしましょう」
「小夜ちゃん~。私は物事って一長一短だと思いますよ~。苦手なことは得意なことの裏返し。何かきっとあるはずですよ」
梅鬼はそう諭す。それは確かにそうだ、とボクも思う。ものは使いようだ。
「で、でも・・・人に合わせることが苦手で・・・」
「逆を言えば自分を持ってるってことですよ~」
「それにいつもぼーっとしていて意地悪されても何もできなくて・・・」
「優しくて正義感のある性格なんですね!それに、集中力と想像力があるんですよきっと!」
「そ、そうでしょうか・・・」
小夜は少し嬉しそうだ。
「なら!借りたお金でそういうのが活かせる仕事をします!もし失敗してもまた最初の状態に戻るだけですしね。」
「それに今度は違う方法を試せばよいね。うんうん、話が進んだじゃない」
「はい!」
小夜はもう、完全に元気を取り戻したようだった。今はまっすぐにボクを見ている。
「もう元気そうだね・・・大丈夫そうかな?」
私の質問にコクコクとうなづく。
「何かの助けになったなら良かったよ。大変かもだけどうまくやってみてね・・・そういえば、さっきも話したけどボクは小説を書いていてね。よければ感想を聞かせてくれないかな。それと人里の話も聞きたいな」
「あ!ズルい!私が先ですよ!楽しみに待っていたんだから!」
小夜に小説を渡すのを見て、梅鬼くんは大人げなく横から割って入る。それを苦笑いしてみていた小夜が、手を上げて言う。
「あの・・・すみません、その前に一つだけいいですか?」
少し深呼吸して小夜は続ける。
「その・・・お手洗い、行ってきてもよいですか?」
「いやあ梅鬼くん、おつかれさま。いい言葉だったよさっきのは」
「炎鬼ちゃんもおつかれさまです!さすが、ヒトの子の病気も治しちゃうなんてすごいです~」
トイレはこの建物になく、外に出て橋を渡ったところにある。小夜が戻ってくるまで、少し時間がかかりそうだ。
「ふふふ、まあね。ところで」言いかけて、梅鬼くんが固まっていることに気が付いた。何やらとても驚いている。
「炎鬼ちゃん、消えた・・・」
「へ?」
窓の外を指しながら、梅鬼くんが言う。
「小夜ちゃんが、消えちゃいました!」
「ええ!?」
驚いてボクも窓の外を見る。そういえば、ちょうどここからはトイレが見えるのだった。当然のように、そこには誰もいない。
「さっき、ちょうど小夜ちゃんが見えたんです!そしたら橋を渡るときに煙みたいにふっと消えちゃったんです!」
そんなバカな事があるだろうか。いや、小夜は元々外の人間なのだ。それなら・・・
「ああ!そうか、橋も境界線だから・・・」
そう、川からこちらに来たように、小夜は橋を通って元の世界に戻ってしまったようだ。
「そんな・・・もう少し小夜ちゃんと話したかったですね」
「ああ、そうだね。色々と聞きたかった。小説の感想も・・・」
力が抜けたようにボクはドカッと椅子に座る。そこでふと気が付く。
「しまった・・・小説を渡したままだった・・・」
「えええ、そんな~」
これ以上の不幸はないという顔で、梅鬼くんは落ち込んだ。