オリジナル

幸せすぎて死にたい

人が死んでも生き返る街『フェリチタ』。
どんなに惨たらしく死んでも翌日には無傷で生き返るという不思議な場所だ。

そんな街の住人たちにも案外普通の日常が存在する。ほのぼのしたり絶望したりと日々てんやわんやな生活だ。
今日はリィムという少年が中心になるお話。

シリーズ

フェリチタ

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 ここは死が存在しない街、フェリチタ。


 正確には死が存在しないというより、死んでも次の日には生き返るという仕組みだ。まるで時がリセットされるみたいに、どれだけ傷を負って惨たらしい死に方をしても、翌日には傷ひとつなく蘇生する。

 それから一度フェリチタに入ったらもう街の外には出られない。しかしどうしても出ていきたいというのであれば、街中で命を絶ってから誰かに街の外に自分の死体をほおりだしてもらうことは可能だ。


 つまり、生きて帰れない街なのである。

 生き返れるけど生きて帰れない。なかなか笑えるジョークではなかろうか。


 さて、こんな摩訶不思議なフェリチタの住人たちにも案外普通の日常が存在する。


 しがない住人の一人である私は今日、とある友人の誕生日会に来ていた。


 友人の名はリィム。過去のトラウマで心に傷を負い、人格が分裂してしまったという十九歳の少年だ。

 彼は幼少期から施設で生活していたが、あるとき施設の管理者の苦渋の決断によりフェリチタに送られてきた。原因は、別人格によるトラブルが日常生活に支障をきたすレベルでひどいものだったから、らしい。


 それはフェリチタに来てからも同じだった。別人格は何らかのトリガーによって目覚めては暴走し、後から戻ったリィムが罪悪感に苛まれて自己嫌悪する。

 こんなことが何度もあって、次第にリィムは心を閉ざすようになった。関わった人に嫌われるのを恐れたからである。


 この負のループを見かねた私は、ちょうどリィムの誕生日が近づいていたこともあって彼の誕生日会を開こうと提案した。


 当然リィムは乗り気ではなく、「自分の誕生日会なんてやらなくてもいい」と頑なだったが、せっかくだから祝わせてほしいと半ば無理に頼んで実行したのだ。


 外は誕生日会にふさわしい小春日和。

 街中の住人たちが彼の家に集まり、一大イベントかのような賑わいを見せている。質素な家は豪華に飾り付けられ、美味しそうなお菓子やケーキなどの食べ物もたくさん用意されている。


 リィムは未だに不安そうな顔で、みんなのいる広間に姿を現せないでいる。


「やっぱり申し訳ないよ。凄く嬉しいけど、俺なんかが祝われる価値あるのかなって。いつもみんなには迷惑かけてばかりだし、ここまでしてもらえるほどのことをできてないから」


「遠慮はいらないよ。友達の誕生日を祝うのは当たり前だからね。それにこの変人揃いの街で迷惑かけてない人って逆に珍しいと思うんだけど」


「でももし、みんながいる前でまた『アイツ』が現れたら……」


「そのときはそのとき。仮にそうなったとしても、気にしなくて良いよ。そして私たちも気にしない。今日はせっかく君の誕生日で、これほど素敵な舞台が仕上がったんだからあれこれ考えずに楽しみなよ。ね?」


 私が優しく微笑みかけると、リィムも少しだけ緊張がほぐれたように笑う。しかしすぐに笑みを止め、腑に落ちないことでもあるような落ち着かない顔をする。何か気がかりなようだ。


「リィム、ちょっと来て!」


 遠くから誕生日会に参加している友人の声が響いて、リィムがそちらに向かう。


「見てみて! みんなでメッセージカード書いたの。この絵を描いたのはわたし。どうかな。似てる?」


 ふわふわと柔和な笑みを浮かべる彼女はナナセ。リィムの元カノである。

 とにかく絵が上手で、いとも簡単に漫画一冊を一人で描いたりする。他にも音楽や執筆にも優れており、アーティストとしてはずば抜けた才能を持っている。

 そんな彼女にも色々と事情があり、重い決断によってフェリチタにやって来たのだ。


「凄く似てると思う。相変わらず絵が上手いね。あれ、描かれてる服ってもしかして、ずっと前にデート行ったときの……」


「あ……えへへ」


「いじらしいガキどもめ。さっさとヨリ戻せばいいのに」


 とはいえ二人が別れた原因はリィムの別人格のせいなのでどうしようもないのだが。などと戯れ言を呟きながら私はパーティーの準備をテキパキ進め、一時間もせずに準備は終わった。


 と、誕生日会に来ている別の友人が私に声をかけてきた。


「今度は何を企んでいるのかな」


 ミステリアスでいつも落ち着いた態度を崩さない、タイコウボウという名の少年だ。フェリチタの中ではもっとも勉強面での成績が優れていて、物知りでもある。


「君の持ち込む厄介事は確かに面白いものばかりだ。おかげでいつも退屈せずに済んでいるし、気に入ってもいる。けれど惨たらしいのは勘弁願いたいね。ワタシとて自分の身の安全が保証できない案件に手は出したくないのだよ」


「つまり君は、安全地帯からの嫌がらせしかしないスタンスってこと?」


「その通りだ。さすが話が早い」


 性悪さを隠しもしない様子に私はつい吹き出してしまった。こいつは街のみんなから頭の良いお兄さんみたいに思われているけれど、その実腹黒い面があるから侮れない。かといって取っつきにくいわけでもなく、何だかんだ手は貸してくれるし余興にも付き合ってくれる。


 だから私はわがままを言って、リィムの誕生日会への参加を渋るタイコウボウを無理矢理連れてきたのである。なぜなら人は多い方が盛り上がるからだ。

 こういったパーティーは盛り上がってナンボだろう?


「企みと言われてもね……とりあえず悪巧み半分純粋な善意半分、てとこかな。私もできる限りのことはするから、君には最後まで付き合ってほしい。頼むよ」


 手を合わせて懇願すると、タイコウボウは渋々了承してため息をついた。


 そんなこんなで、JKみのある少年ハウスや顔面媚薬のヒナノなど多くの友人たちを集めたパーティーは始まった。


 お菓子をつまんだりゲームをしたりしながら楽しんでいると、盛り上りは最高潮に達する。


 そろそろケーキを切り分けようかと考え、私はナイフを手に持った。

 しかしお恥ずかしながら私はサービス精神が旺盛なわりに不器用なもので、案の定、ナイフの扱いを間違えて指を切ってしまい血が出た。

 すると隣に座っていたリィムはその血を見てびくりと震え、咄嗟に目を覆う。深呼吸する彼の頬を汗がつたった。


「どうかしたの?」


「……ごめん。何でもない。気にしないで」


 リィムは顔色が悪いけれど無理に笑って見せる。パーティーは続行した。


 無事ケーキを切り分けると、電気を消してリィムのケーキに蝋燭を立てる。リィムは火を見るのさえ躊躇っていたが、私は「君の誕生日なんだから」と言ってどうにか火を消させた。そして次に私は、用意したクラッカーを勢いよくリィムに向かって放った。


 次の瞬間、彼は目を丸くして硬直したあと、ぷつりと糸が切れたように脱力して俯いた。それから数秒経っても死人のように動かない。

 明らかに不自然な様子に、友人たちはリィムに駆け寄る。


「どうしたのリィム、ねぇってば。寝ちゃった、わけじゃないよね……?」


 ナナセが肩を叩いてみても反応はない。そこで彼女はリィムの顔を覗き混もうとしたが、ふいに何かに気づいたタイコウボウが立ち上がってそれを制止。


「――待て。彼は寝ているわけでは」


 言い終える前に、ナナセの腹部から銀色の刃物が出現した。それは先程ケーキを切るのに使用したナイフであり、大きな刃は腹を貫通して内蔵にまで到達している。


 リィムはいつのまにか椅子から立ちあがっており、手にしたナイフを引き抜いて盛大に血を撒き散らした。普段の気弱そうな雰囲気とは全然違う、血に飢えた獰猛な獣みたいな笑みを浮かべながら。

 同じ体なのに、表情や振るまいがこうも別人のように変わるから驚きだ。


 一瞬の出来事にタイコウボウはわずかにたじろぎ、額を手で押さえて「最悪だ」と呟く。『彼』が相手では逃げても逃げ切れないことを理解しているのだろう。諦めた態度でその場から動かない。

 ただナイフで首をかっさばかれる直前、私の方を見て、


「だからワタシは嫌だと言ったのに」


 それだけ言い残すと無事肉塊と化してその場に倒れてしまった。


 こうしてほのぼのとした誕生日パーティーは、一気に臓物パーティーに変わったのである。


 ハウスは急いで逃げようとしたがリィムに捕まり、樽に詰め込まれる。周囲から何本もナイフを突き刺され、黒ひげ危機一髪のごとく串刺しにされて死んでしまった。


 それから一人は椅子に縛り付けられてリンゴの皮剥きの要領で皮を剥がれて死んだ。確かあの子はモンタという名前だったかな、と私は思い出す。


 ヒナノはミキサーにかけられて人間ジュースにされ、ササは熱した板に顔を押し付けられ、ソウシは内蔵をほじくり出されたあと体に蝋燭をたてられ、散々な様相を見せながらみな死んでいく。


 その間、私はなぜか『彼』に手をかけられることなくその場に突っ立ったままでいた。いつもは目に入ったものから手当たり次第に殺す彼がすぐ隣に座っていた私を真っ先に狙わないのは珍しい。

 間違いなくよろしくない意図があるのはすぐにわかった。

 今のうちに逃げ出そうとは思わない。何故なら私はリィムも『彼』も、二人ともお祝いしたかったのだから。


 最後の一人を大量の風船に吊るして窒息しさせ、文字どおり肉風船を作ったところでようやく『彼』は私の方を向いた。

 もはや周囲は血の海でさっきまで楽しく話していた友達はもう一人もいない。


 相変わらず『彼』の芸術センスは素晴らしいな、と私は場違いな感慨を覚える。


「やぁ、久しぶりだね、リム。誕生日おめでとう」


「キメェ。ヘドが出るぜ、クソ女」


 祝いの挨拶に対して『彼』――リムの返事は嫌悪感に満ちていた。


「やっと喋ったと思ったら随分ひどい言い草だね。たまにはこんな甘ったるいパーティーも良いじゃないか。お気に召さなかったかな」


「俺の誕生日は今日じゃねぇよ。軟弱野郎と一緒にすんな」


 言われてみれば、リィムが生まれた日は今日だがリムという人格が生まれた日は知らない。聞こうにも聞くタイミングがなかったから仕方なくもある。


「それは失礼したよ。じゃあ君の誕生日も教えてくれない?」


 にこやかに問いかけた瞬間、私は横っ面を蹴られて吹き飛んだ。鍛えられた体から放たれる蹴りは強烈で、受け身も取れずに床に倒れる。

 痛みはないが衝撃は普通に受けるので、目の前が白黒する錯覚を覚えた。なんとか首を持ち上げ、いきなり何をするんだと憤る前に、リムに胸ぐらを捕まれて壁に押し付けられた。


「舐めんのも大概にしとけ。お前に祝う気なんかさらさらねぇのは知ってんだよ、サイコ野郎。にやけた顔の面剥がしてやろうか?」


「ちょっと、ひどくない? 祝う気がなかったらわざわざここまでしないでしょ」


「いいや、お前はやる。自分のゴミみてぇな好奇心と薄汚い欲望のために手段は選ばない。そういう奴だろうが。俺がなにも知らないとでも思ったか? リィムですら薄々気付いてたってのに阿呆かよ。なぁ、なぜここまでやる? 何が目的で茶番を仕組んだんだ? 洗いざらい吐けよ。正体を現せ、化け物が」


 仮にも女の子に向かって化け物呼ばわりというなかなかの扱いのひどさは笑えてくる。


 実のところ、この惨状が生まれるのは予想がついていた。そしてそれでいいと思って誕生日会を提案したのだ。


 普段表に出ている主人格のリィムは心を閉ざしているせいで食事だの遊びだの誘ってもあまり来ないし、家に引きこもって大人しくしていることが大半。

 しかし私は彼に興味がある。二重人格は未だ明確な治療法の見つかっていない精神疾患であり謎が多い。私は別に医者だとか研究員とかではなくてただの一般人だが、個人的に好奇心をそそられたのだ。


 幸いここは死んでも生き返る街。リィムの裏人格が暴れて友人たちを肉塊に変えようと次の日には元通りだ。

 狂暴な猛獣の実験場としては最高の場所だろう。


「ふふ、あはは。わかったよ」


 リムは胸ぐらを離し、私を乱暴に床に投げ捨てる。遺言を聞いてやるとでも言うようにナイフを手元で回してこちらを見た。

 だから私は笑顔で求められる答えを言う。


「まずは試すような真似をしたことを詫びるよ。本当に申し訳ないと思ってる。物事が幸せから絶望に叩き落とされる瞬間って人は誰しも興味を抱いてしまう題材だよね。決して善悪の判断ができないわけじゃないけど、良くないとわかっていても深入りしたくなる、手を出したくなる、もっと知りたくなる……そういった欲求が、まず君に向いたんだ。リムはリィムに比べたら顔を出す頻度は少ないけど、表に出る度に住人をぶち殺しては騒ぎを起こしてるから、フェリチタではもう知らない者はいないくらいの有名人じゃんか。リムはリィムの中に存在するもう一人、という認識は広まりつつある。でもよく考えたら、僕は君についてほぼ何も知らないって気づいたんだ。例えば君がリィムと入れ替わるトリガー。フェリチタではトップクラスで博識なタイコウボウに聞いても専門外だって言うし、自分でも色々な資料を漁ってみたけど詳細はわからなかった。それなら君という人間について知れば二重人格の解明に繋がると思ったんだけど、そもそも君のことを詳しく知る者が街にいない。まぁ、当然だよね。君、リムはこの通りまともに話ができる奴じゃないし、いつも表に出てるリィムはみんなに心を閉ざして関わろうとしない。だから君たちの実態を知るのは非常に難しいわけ。人格が分裂した原因も、分裂してる最中に君たちの意識がどうなってるのかも、君たちがいつも何を思い何を考えて生きているのかも、知らないことばかりだ。知らないことって知りたくなるものだよね? そういう欲求は普遍的で誰にでも存在するとは思うけど、欲求を満たすためにどこまでの手段を用いるかって線引きは人によって大きく違う。で、僕はその線引きが結構曖昧というか、みんなはこういうのを手段を選ばないって言うんだっけ……ああ、君もさっき言ってたね。そんな人でなしみたいな言い方はないだろって思ってたけどやっぱり否定できないや。今日のやり方は確かにあまりよろしくなかった。強引だし、捻りもなければ品性もない、目覚めの悪い起こし方をしたから君は相当気分を悪くして怒っているんだろう。でも、こうでもしないと会えないじゃん。あいにく僕は頭が悪いから他に良い方法が思い付かなかったんだ。でもね、満足してるよ。今日はリムに会えたし、表に出てくるトリガーもわずかだけど把握できた。そうそう、もうひとつ知りたかったことがあってさ、これはさすがの君も怒るかもしれないんだけど……明日生き返ったときにリィムがどんな反応をするのかってこと。いつも君がみんなを殺して回ったあとって、意識を取り戻したリィムがぼろぼろ泣いてるのは知ってるでしょ? 彼は凄惨な光景を見て罪悪感に耐えられなくなるからね。それが今回は誕生日会をしたことでみんなと仲良くなった分、罪悪感はことさらに大きくなるだろう。だからさ、気になるんだよ。自分の誕生日を祝ってくれた友人たちを、殺した罪悪感とか悲しみってどんなもんなのかなって。彼はメンタルが物凄く弱い、だからこそ、どんなに消したいと願っても自分の心を守るリムの存在を消せはしないんだ。それなら自害しようという考えがすぐに浮かぶだろうけど、残念ながらこの世界から消えることすら許されない。だってフェリチタは一度入ったら外に出られないからね。たとえ自害しても自力で外には出られず、外に出すことに協力してくれる人もいない。だって住人たちはみんな残酷なほどに優しいから。リィムがどんなに自分を殺してくれと嘆いても誰も殺さない、逃がしてくれないのだから。僕のやりたいこと、試したいことを実験するのにこれほど適した環境はないよ。上手く使わなきゃもったいない。あとね、勘違いを避けるために言っておくけど僕は別にバッドエンドだけを求めてるわけじゃないんだ。むしろハッピーエンドの方が好みだよ。さっきはリィムの悲しみ方がどうとか言ったけど、喜んでもらえたらそれはそれで嬉しいんだ。もしも、今日の出来事が君たちにとって良い方向に好転したら……いや、止そう。語りすぎたら興ざめするから。とにかく明日、どんなリィムが見られるのか楽しみで仕方がない。ああ、僕のことが気持ち悪い? 許せないかな? ごめん、本当にごめんよ。君は嫌がるだろうけど、僕は君のことを友達だと思ってる。ただ、好奇心が抑えられなかっただけなんだ」


「そういえば」と私は上体だけ起こして、リムに人差し指を立ててみせる。


「君は正体を現せって言ったけど、そんなものどこにもないよ。僕の名前はタチバナ・メル、見ての通りしがない一人の人間。それ以上でもそれ以下でもなく、ただそれだけの存在さ」


 リムは私の首にナイフを突き刺した。慣れた手つきで鮮やかに切り裂くのとは違い、乱暴で力任せな刺し方で。

 いつもなら笑顔で楽しそうに人をかっさばく彼が、今は殺し方を捻る余裕もないらしい。


 それから私は間髪おかずに体中を何度も刺され、せめて最後に「また明日ね」と伝えようとしたのに口からひゅーひゅーと空気の音だけが情けなく漏れた。

 久々に顔を合わせたというのに会話らしい会話はほぼできなかったが、それでも満足である。リムが怒りで余裕を失っている様子はとても新鮮で、私は死に際にも関らず面白いと感じてしまったから。


「どうせ殺したって意味ねぇんだろ。俺なんかよりよっぽど狂ってやがる。お前はやっぱり化け物だよ。クソ野郎」



 ◇



 次の日、リムの誕生日会で死んだ友達はみんな無傷になって生き返っており、いつも通り談笑する姿が見られた。もちろん私も滅多刺しにされたことなど嘘のように傷はない。

 汚れた服や破損した建物も綺麗に元通りになっていて、蘇生どころか街自体がリセットされているようでもあった。


 散歩がてら公園にやってくると、ベンチに座って雑談する見知った友人たちが三人集まっていた。遠巻きに耳をそばだてると、話のネタは昨日のリィムの誕生日会についての内容らしい。


 私はそっと彼らの背後に回って話を盗み聞きしようとしたが、近付くといきなり首根っこを掴まれて「げっ」と声が出た。


「これはこれは、さっそくフェリチタ屈指のトラブルメーカーがお出ましのようだね。ときにタチバナくん、ワタシに言うべきことがあるだろう?」


 掴んだのはタイコウボウだ。彼は静かながら怒っていて、咎めるような目付きで私を鋭く睨んでいる。


 理由は明白だ。

 リィムの誕生日会には無理に参加させたあげく、私ができる限りのことはやるとかほざいた結果があの臓物パーティーだったのだから、憤るのも致し方なし。

 痛みがないとはいえ死の感覚を味わうのは気分の悪いものだ。死ぬときの言葉にし難い喪失感というか、消え行く感覚はなかなか慣れない。ほぼみんな、死にたがってなどいないのだ。


「えへ……ごめんね。今度美味いもん奢るから許して」


「ふぅん。高級ステーキで手を打とう」


 ひとまず隠れ肉食男子は矛を納めてくれたようだが、その隣のナナセは腰に手を組んでぷりぷり怒っている。


「もう、メルのせいだからね。友達のパーティーなのに参加しないの? なんて言われたら普通は断れないでしょ。わたしはいいけど、嫌がってる人もそうやって無理に誘ったらダメなんだから」


 ナナセも無理に誘ったうちの一人には違いないが、タイコウボウに比べるとわりかし彼女自身の意思で参加していた。リィムのためを思う気持ちはそれなりに強い。


「そんなこと言ったっけか? しかもナナセの場合は友達じゃなくて元カノじゃないの?」


「ちょ、ちょっとやめてよっ! みんなの前でそういうこと言わないでってば。次言ったら本当に許さないんだからね」


 ナナセの可愛らしい照れ方を堪能しながら、私は舌を出しておちゃらせて見せる。

 その隣では一際げんなりしている少年がいた。昨日の出来事はかなり堪えたらしく、疲れたようにベンチの手すりにもたれかかっている。


「ウチもあんなことになるなら行かなきゃよかった。ただでさえリィムくん怖いから近づきたくないのにさぁ。マジ病みそう」


「大丈夫? タピオカ飲む?」


「それ別に好きじゃないんだけど何でいつも勧めてくるの?」


 相変わらずJKっぽい雰囲気のハウスは、二重人格というものを理解していない。リムが暴走するのはリィムの発作みたいなものと捉えており、そもそも人格の違う別人だとは思っていない。だから、普段の穏やかなリィムのことも怖がってあまり関わらないのだ。

 それが間違いだと言うつもりはない。むしろハウスの認識はごく普通の感覚である。


「ていうかさぁ、メルちゃん。ヒナノちゃんに聞いたんだけど、ウチの死に方を黒ひげ危機一髪とか言って笑ってたってマジ?」


「いやいや、人の死に方に笑うってどんなサイコパスだよ。あり得ないから。っふ」


「……口が笑ってるよアンタ」


 ハウスは心底あきれた顔をした。


 とそのとき、たまたま近くを通りかかった人影に私は「あ!」と声をあげる。

 リィムだった。


「リィムー! おはよう。今ちょうどみんなでお喋りしてたの! 君もおいでよ」


 ナナセの声に振り向いたリィムは、私を見た瞬間すぐに顔を背けた。頭を手で押さえ、過呼吸になって冷や汗をかいている。

 彼のこういった反応は通常なら驚いたときや精神状態が不安定なときなどに起こるものだ。それなのに今、私に対して起こったということは、


「昨日のアレが相当堪えたか」


 リィムの中に存在する裏人格リムが、自分に対して負の感情を強く抱いたせいで反応している。なかなか悪くない現象だ。


 ちなみにリィムとリムは互いの記憶を共有できない。裏人格のリムはリィムの記憶を持ち合わせているが、主人格のリィムはリムの記憶がないのだ。

 だからリィムは今、私に過剰に反応する裏の彼に訳もわからず戸惑っているだろう。


「ごめん、昨日から頭痛が酷くて。原因は体調不良ってわけじゃない、たぶん精神的な問題なんだ。だけど自分でも自分がよくわからなくて、何がなんだか頭がごちゃごちゃしてるというか。その、また色々あったんだよね? もう俺に近づかない方が……」


「構わん、来い。見ての通り私らは男女二人ずつという合コン人数で集まってる。これはゆゆしき事態だよ。だから早く来い」


 私は微妙な顔をするリィムを呼び寄せてベンチに促し、手すりに腰かけた。

 ハウスは若干表情を強張らせて、周囲に気づかれないようにおそるおそるリィムから距離を取った。


 しかし呼んだはいいものの、明らかに傷心している彼をどう慰めようかと考えていると、


「……まずはその、ありがとう。みんなが俺の誕生日会をしてくれて、凄く楽しかったし嬉しかったよ」


 リィムはうつむいたまま、躊躇いがちに話し始めた。いつになく弱々しい雰囲気で、消えてしまいそうなくらい儚い。


「でも、途中から記憶がないんだ。破裂音みたいなのが聞こえたあたりで意識がなくなって、気づいたときには……俺は血まみれのナイフを手にしてて、みんなは死んでた。また、いつもの光景だ。知らないうちにまたみんなを傷つけて、殺した。そんなことしたくないのに、いくら頑張ってもアイツを止められない。俺はただ生き抜くために自分の身を守りたかっただけなのに、何故こうなったんだろう。どうしたら治るのかな。どうしたら友達を傷つけずに済む? もう誰とも仲良くなりたくない。傷つけたくない、嫌われたくない。俺は俺が大嫌いだよ。本当にごめん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 話の途中から泣き出したリィムを、ナナセは背中をさすってなだめている。

 私はというと最低なことに、真面目に聞くふりをしながら必死に笑いをこらえている。笑っちゃいけない場面で笑いたくなるこの性は恨めしいものだ。


 すると、それまで黙っていたタイコウボウが口を開いた。


「君は繊細過ぎるね。それに、自分のことを自分が一番知っていると思い込むのはよろしくない判断だよ、リィムくん。ワタシは君に嫌いだと伝えた覚えはない」


 意外そうに顔をあげたリィムに、優しく諭す言い方で、


「少しオイタが過ぎた程度であれこれ気にしなくていいさ、そしてワタシたちも気にしない。そうだろう? タチバナくん」


「あぁ、うん。そうだね」


 リィムはまだ私への拒絶反応から目を合わせないが、事情を知らない他のメンバーはそれを不審がる様子はない。昨日最後まで生き残った私とリムのやり取りを知る者はいない。それでいいのだ。


「多少傷つけられたって些細なことさ。みんなこうして傷ひとつなく生き返って動いて笑っておしゃべりできる。いつもとなにも変わらない」


 私は演説でもするかのように両手を広げてリィムの前に立った。


「ほら、見てごらんよ。昨日の出来事のせいで君を嫌いになった人がどこにいる? いないよね。どんな惨状が繰り広げられたにせよ、何もかも一日経って元通りになるんだ。一体何が問題だって言うの?」


 友達を傷つけるのが怖くて人と関われなかったリィム。

 不幸にも彼の裏人格は狂暴で殺戮が大好きなイカレ野郎。少し気弱で優しい彼がそんな存在を許せるはずないのに、裏の自分を消すことができない。

 なんて哀れなのだろう。けれど、大丈夫だ。


「幸いここはフェリチタ、死んでも生き返る摩訶不思議な街だ。君がどれほど人を殺そうと罪を重ねようと、全ては無に帰す。過去の精算に意味はないんだよ、この街においてはね。だから何があっても私は……僕は君の友達だ、リィム。みんなもそうでしょ?」


 そばの友人たちに呼び掛けると、一人は躊躇い気味だったもののみな肯定的な反応を示した。

 彼らの様子に、リィムは自分が拒絶されていないことを知る。怖がらずに人と向き合っていればもっと早く気づけただろうこの事実に、今ようやく気づけたのだ。


「リィムくんも色々大変なのねー。ウチ、アンタのことあんまり知らないからわかったようなこと言えないけど、話聞くくらいはできるから、困ったときとかはいつでも言いなよ。遠慮はいらないからさ」


「なんで……? 俺、いつもみんなを殺して、迷惑ばっかりかけてるのに、仲良くしていいの……?」


「当たり前だよ。わたしは大丈夫っていつも言ってるのに、リィムってわりとそういうところ鈍感だよね」


 ナナセの笑顔につられてリィムも安堵して表情を緩める。


「やれやれ、式場の手配ならワタシに任せるといい」


「意味わかんないよタイコウボウ!」


 それからリィムは少しずつみんなと打ち解けていき、他の友人もどんどん集まってきて雑談はもうしばらく続いた。リィムはしばらく謝罪の言葉を口にしてばかりだったけれど、友人たちと話すうちに笑顔も見せるようになっていた。

 いつもの和ましい空気が戻ってきたところで、私はそっとその場をあとにする。


 予想以上に面白い展開になった。

 リムには嫌われてしまったが、誕生日会のおかげでリィムには殺した程度じゃ友人たちに嫌われたりはしないと証明して見せることができたからひとまず成功だ。

 おまけにリムともそれなりに話せた方だから、好奇心も満たされて私にとっては一石二鳥である。


 それにしても今日も平和だなと思いながら、ふと空を見上げる。

 ここは死のない街、幸せと不幸が同居する世界。

 だからこそなのか、絶望の味も好きだけどこういう温い空気も悪くない。などと、少しだけ思ったのはみんなには内緒である。


 これはフェリチタのとある日常。


幸せすぎて死にたい

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