言うが早いか、三人は早速、家を出て町の中心部へと歩いていくことにした。
寝たきりの祖父を家に置いてきてしまって大丈夫なのかと聞いたが、若菜は
「大丈夫です。体のほうに問題はないですから」
と言って、一緒に付いてきてくれた。
彼女が一緒に来てくれるなら、情報集めもずいぶん楽になる。なるべく早く済ませるに越したことはない。
若菜はリンと手を繋いで広い道の真ん中を歩き、その後ろをシキはゆっくり追いかける。
のどかな風景だった。
午後の住宅地は車も通らないし、機械の稼働する音なども聞こえない。
鳥や虫たちの遊ぶ音だけが、何もない自然の中に響いている。
シキはこういう景色が好きだった。どこか懐かしい匂いがする。
……もちろん、飽きれば「都会の方が良い」と言って、出て行ってしまうのだが。
三人は再び、町の中心部に戻ってきた。
午後の商店街は人で賑わい、端の広場では十人くらいの子供たちが集まって遊んでいる。この寂れた町に、これだけ子供がいるというのがシキには意外に思えた。
「あ、カナカナ!」
子供たちの集まる中でも、年上に見える女の子が若菜に声をかけた。
若菜の姿を見つけた子供たちが何人か近づいてくるが、一緒に歩いていたシキとリンを見ると、少しだけたじろぐ。
シキは、いつものことだと思いながら若菜の隣にしゃがむと、子供たちに手を振った。
「みんな、今日はお姉さんたちを連れてきたよ」
若菜が簡単に紹介をすると、彼女の知り合いだと分かった子供たちは、興味津々といった感じでこちらに近寄って来た。
二人の服装は、この町の中ではなかなかに目立つ。
シキについては身長のせいで余計に目立っているが、そうでなくても、月のように輝く柔らかい髪や、複雑な襞を持ったトレンドのロングスカート、肩にタテの切れ目が入った薄いリブニットという格好は、なかなかお目にかかれるものではない。
リンは服装になど興味は無いが、シキに勧められるまま、旅先でいろいろな服を着せられている。
「私が着られないやつはお前が着ろ」と言わんばかりに、シキはリンに少女趣味な服を着せる。無地の白いシャツに、ギャザーの付いた黒いスカートワンピース。彼女の黒い髪や白磁のような肌、赤みがかった眼元と合わさって、どこかのお嬢様のようだ。
「きれーい! ねぇ、あなた、何年生なの?」
女の子たちは、最初にリンに話しかけた。
明らかに大人っぽいシキよりも、話しかけやすいと思ったのだろう。
身長140センチ程度で童顔のリンは、小学生に間違われても、まあおかしくはない。誰が見ても、せいぜい中学生くらいにしか思われないだろう。
「あ、あははは……あの、まあ、ろくねんせい、かな……」
まさか、この町の誰よりも年上だなどと言うわけにもいかない。
複雑な気分のリンは、そのまま流されるように子供たちの会話に加わっていったものの、
「ねえねえ、その服、どこで買ってもらったの?」
「ん……そっちのシキちゃんに、買ってもらった……」
面倒になったので、無理やりシキのほうに子供たちを誘導した。
子供たちから避けられることは多くても、シキ自身は子供は苦手ではない、とリンは思っている。むしろ子供が苦手なのはリンのほうだ。
さっきからリンの横でしゃがんでいるシキを、子供たちはまじまじと観察する。化け物としての性なのか、話を始めるとすぐに誰でも魅了できるシキだったが、どうしても見た目で避けられてしまうことは多い。
それでも子供は馴染むのが早く、最初は怖がっていた彼らも、少し話をするとすぐに打ち解けてくれたようで、リンは安心した。
「こっちのおっきなお姉さ……お兄さん?は髪の毛わんわんみたい!」
「まあ、似たようなものだが」
シキは子供たちと目線を合わせて、自分の髪に触らせてやる。
「ふわふわだ、ふわふわー」
子供たちにじゃれつかれて満更でもなさそうなシキを見て、リンは内心ほくそ笑む。
「元が狼だからね……いろいろ毛深い……」
「うるせーーー! 毎日バッチリ剃ってんだよ、こっちは!」
小声でリンとやり合いながら、シキは子供たちに付き合ってやる。
シキが子供たちを腕に掴まらせてやったりしている間に、リンは若菜のほうへ近づいていった。
「若菜ちゃん、どうかな……?」
若菜は同い年くらいの子供と話をしていた。リンのほうを振り返ると、少し微笑んで言う。
「この子の習い事の先生が、町内会のえらい人なの。連れて行って会わせてくれるって」
紹介された女の子が、礼儀正しく頭を下げる。
「よろしくね、リンちゃん。
ねえ、どこから来たの? こんなところに旅行?」
「そんな感じ……ありがとうね、案内してくれるの、嬉しい……」
二人は握手をした。やっぱり、同い年の子供としか思われていないのはちょっと複雑だった。
「じゃ、早速いこうか。
……あ、リンちゃんのお母さんも一緒だよね?」
「お……おかあさん……!? シキちゃんが!?」
リンは思わず噴き出しそうになるのをこらえる。
ーー私たちって、そんな風に見られていたの?
今日いちばん不本意だ!
これだから、子供は苦手なんだ。
リンは、なんだかんだ言いながらも子供たちに馴染んで遊ぶシキに近付くと、その手を握ってこう言った。
「ねぇ、そろそろ行こうよ……お・か・あ・さん♪」
「えっ」
_______
「そもそも、この町は古くから山の神の御膝元として、豊かな自然のもと農業が発展した村だったのです……その守り神として、私たちの前に姿を現したのが、偉大な善孤とされるお方……〈天狐〉さまが、この地を治めて下さっているのです……」
古い日本家屋の立ち並ぶこの町の中でも、ひときわ大きな屋敷。
その中の、細長い机が何列も並ぶ大広間に若菜たち四人は座っている。
正面の教壇を挟んで、ぺしゃんこになった古い座布団に正座するのが、シキとリンが話を聞きに来た人物である。
この、見るからに老齢といった感じの女性は、町の子供たちの書道の師範として指導をしながら、町の歴史に詳しく、季節ごとの伝統行事を取り仕切り、その文化を伝えようとしている信心深いご婦人であるという。
「天狐って、化け狐の中でも凄く強い個体のことだよね……? 地域によっては、神と同列の存在ともされる……」
リンが、この師範に失礼の無いよう、控えめに問いかける。
「ええ、ええ……小さいのに、よく知っていますね……そう、昔はあのお方も麓の、ちょうどこの町の近くまで降りてきてくださって、私たちにもその姿を見せていただけたものです。自分は千年を生きた、天に連なる存在だと……」
師範は懐かしそうに目を瞑り、なにかを思い出すように時折り頷きながら、ゆっくりと話をする。
子供たちの間では、優しくて気立ての良いおばあさんという風に言われていると、若菜も教えてくれた。
「それで、そんな天狐サマがどうしてタタリなどと?」
一番端に座っているシキは、話を聞いている四人の中で唯一、正座をせず、しかも勝手に分厚い座布団を持ってきてあぐらをかいている。それでも御老人は何も言わず、少しも気を悪くした様子が無いので、どうやら優しい人だと言うのは本当らしい。
「それは、私ごときにはとても理解出来ないほど、大変なお考えがあるのでしょう。きっと、今のこの日本の島で、神様を忘れて悪いことをする人間たちにお怒りなのです。
……天狐さまはかつて、私たちのさらに先代にあたる当時の大人たちに言いました。お前たちの力を代々にわたり捧げ続ければ、この地は永久に豊かである、と……
だから、私たちが今こうしていられているのも、天狐さまが守ってくださっているからに他なりません……みんなこうして、静かに暮らして居られるのですから……」
シキはそこまで話を聞くと、その後もずっと続く町の話には興味を示さず、横を向いて外の街並みを眺めたり、静かに立ち上がって、壁に貼られている子供たちの書を鑑賞したりしていた。
「ね、ねぇ、リンちゃん……シキさん、なんか怒ってる? 大丈夫?」
「さぁ……」
リンから見ても、今のシキは悪ふざけが過ぎる。
若菜たちも、いつこのご老人が怒ってシキを怒鳴りつけるのかとヒヤヒヤしていた。
それでも、この師範は何も言わないし、まるでシキの存在に気づいていないかのように、目を向けることもしなかった。
耳を澄ましていると、鳥たちの唄う声がささやかに聴こえてくる。
広間の、十五時を示す古い時計の鐘が鳴り響くと、師範の長い話は終わった。
「……どうかな。リンちゃん、なにか分かった?」
若菜は屋敷を出て友達と別れると、すぐに二人の反応を伺った。
実のところ、あの師範の言い回しは現代の子供たちにはほとんど理解が出来ていなかった。筋力も弱っているのだろう、発音も聞き取りづらい。
「そうだね……あの話を信じるとすれば、その化け狐が、人前に姿を見せて、あれだけはっきりとした内容の話を人々に聞かせていたことになる。実在して、今もこの町の人たちの力を奪っている可能性はある。
……そうだよね、シキちゃん」
「まあ、そういうことになるな」
シキは、どこか曖昧な返事をするとそれきり黙って先を歩いていった。
シキにしては、妙に静かな反応だとリンは思う。
「……ねえ、リンさん。その話が本当なら、天狐さまは私たちを守るために力を吸い取ってることになるんだよね? それだったら、もしかして、おじいちゃん達から吸い取った力を返してもらうのって、本当は良くない、ってことになるのかな」
ずっと黙っているシキを見て、不安になった若菜が言う。
確かに、あの老人の話を聞く限り、天狐は町の人間のために尽くしているように感じられた。現に、この町は今もこうして、慎ましやかながら平和に存続しているのだから。
やっと二人のほうを振り返ったシキは、
「……いや。大丈夫だよ。
おじいちゃんのことは、私たちが全部なんとかする。約束ね」
それだけ言うと、そのまま若菜を両手で持ち上げ、抱きかかえて家まで戻った。
ただいま、と言って家の戸を開けた若菜は、そのまま二階に上がり、祖父の様子を見に行った。
ようやく二人きりになると、リンはすぐに本題に入る。
「どう思った? シキちゃん」
「ああ。アタリだと思う。狐は居る。たぶん、あの山の中に。
……厭な臭いがしたんだ」
シキは、開け放たれた窓の向こうを眺めながら言う。
そこには青い空を覆い隠すように、昨日まで二人が過ごしていた、大きな山がそびえ立っていた。
「私も少しだけ力を使って、気を探った……確かに、町の人の中で、何人かは別の存在に力を吸われてた。大人も子供も、関係なくランダムに。
それより、本当に大丈夫なのかな。
天狐って、すごく強いよ……今の私たちはほとんど力なんて残ってない。二人がかりでも勝てるとは思えない……」
「なーんだ、そんな話か」
心配そうな表情のリンとは正反対に、シキはずいぶん楽観的だった。先ほどまでずっと黙っていたのが嘘のようだ。
「……どうして? なにか分かったことでも、あるの……?」
「ああ。きっと、何とかなるよ。
だってーーたぶんそいつは、天狐なんかじゃないから」