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Rainbow Delusion Girl

わたしと、わたしだけの彼女の、秘密の話

元になったシリーズ
にじつくちゃん

そしてわたしはペンを置いた。 「こんにちは」 あどけなく笑って挨拶をした彼女。 好奇心にあふれた綺麗な瞳が、わたしを見ていた。 長い間、設定を練って考えをひり出して、ようやく完成したのだ。 素直で優しくて、少しだけドジで、怖がりだけど見たがりで、純粋で可愛い、わたしだけの。 それが今回の彼女。 ◆ 「この漫画、とっても面白かったです! ラストの展開に泣けちゃって」 わたしの見せた漫画を指して彼女は言った。 まだ少し赤い目をこすって、お礼の笑顔を見せてくる。 その姿が可愛くて思わず頭を撫でてやると、彼女は照れたようにおかしな鳴き声をあげた。 穏やかな日々。 望んだ通りのものが、ここに全てあった。 「それはなんですか? もしかして、新しい作品ですか!」 彼女はわたしの背後を指した。 はっとして振り向く。 いつのまに落ちたのだろうか。床には、褪せたスケッチブックがあった。 それを早足で拾い上げ、そのままゴミ箱に落とした。 しまい込んでいたはずなのに。本当に、いつ落ちたのだろう。 いや、でもむしろこれで良かった。忘れたままずっと置いておくことになったかもしれない。 これはもう、要らないものだ。 「…………」 背後へ振り返る。 今の一連を突っ立ったまま見ていた彼女は、わたしの言葉を黙って待っていた。 あれは要らないものだ。 そう説明すると、彼女は一言 「そうなんですか」 と呟いて別の作品を探しに行った。 ◆ 彼女が帰ってこない。 何度呼んでも、どこを探しても見つからない。 いや、探す必要など本来無いはずなのに。 どこにもいない。 どうして急に。心当たりなんて何も無い。 ただただ不安と焦りだけがわたしを支配していった。 じりじりと、脳が焦げついてしまいそうだった。 目をつむり、必死で彼女の笑顔を思い浮かべた。 とにかく安心したい。 このまま瞼をあけたら、彼女はいつもと変わらないあの笑顔をわたしに向ける。 小さな歩幅で駆け寄ってきて、温かい手が遠慮がちに触れてきて、それで 頭痛がする。 なぜこんなに嫌な予感がするのだろう。 鼓動は徐々に速くなり、彼女を呼ぶ声すら詰まっていく。 夢の覚め方を忘れたように、わたしの瞼は硬く暗闇のまま。 今、自分が立っているのかどうかさえわからなくなっていく。 何か黒く冷たいものが、わたしの身体を這い上がり背中を覆っていく感覚。 「ただいま」 息がかかるほど近くで、聞き慣れた声がした。 わたしはその声で安堵する。はずだった。 全てを理解する前に、全身が総毛立ち指が震える。 わたしの瞼が、操られたようにゆっくりと開いていく。 隙間から差し込んでくるものは確かに光だった。 眼前のぼやけた輪郭がはっきりしていく。 それはやはり間違いなく彼女の姿をしていた。 わたしの望み通りの微笑みで、もう一度ささやく。 「ただいま」 どうして。 彼女とはっきり目があった瞬間、その正体を確信した。 二度と開かないと決めたもの。褪せた表紙。ゴミ箱へ落ちた音。 ……そんなはずが無い。あのスケッチブックはもうこの世のどこにも無い。 だからもう、存在するはずが無い! あれは捨てた。 捨てたはずだ。 居ないはずのものが、目の前に居る。 「あの思い出のスケッチブック、捨てられちゃったのは悲しいけど。でも、わたしは消えないよ」 そう言いながら彼女は自分のこめかみを指で叩いた。 ああ―― 彼女は一体どこから来たのか。彼女を描いたスケッチブックはどこにも無いのに。どこから。 その答えに、わたしはとっくに辿り着きながら知らないふりをしていたのだ。 彼女は存在し続ける。 あれを生んだわたしの頭がある限り、どこにだって、いつまでだって居るのだ。 落ちたスケッチブックを捨てたあの日。この子を思い出してしまった瞬間、終わりが目を覚ましたのだ。 あの子はどこに行ってしまったのだろう。 ようやく完成したはずの、わたしの理想の、柔らかい陽だまりのようなあの子は 「わかってるくせに」 彼女は笑い声を漏らして、わたしの両頬を包む。 目の前の彼女は、わたしの中に焦げるほど焼き付き、深く刻まれ、抉れた傷痕のようだと実感した。 強く。永遠に。 わたしの中には、この子だけがあった。 ◆ 「何を書いてるの?」 わたしの肩越しに彼女が机を覗き込んだ。 そこに書かれた文字を見て、彼女は満足気に目を細めた。 にじつくちゃん すみっこに書いた、あなたの名前。 それはもう取り返しのつかない証。 「嬉しい。ありがとう」 あなたは失敗作のはずだった。 わたしを一途に愛してくれる女の子。それは望んだ通りだった。 だけど時々、昏く私を見る瞳。時々、冷たくなる指先。歪んで見える口元。声。足音。 いつしかそれが少し恐ろしくなって、わたしはあなたを消すことにした。 「これからは、ずっと一緒だよね」 彼女はわたしの手を握った。 そうだ。わたしはもう、この手を離さない。 あなたの居場所は誰にも奪えない。わたし自身でさえも。 いつか誰かが、わたしが、この頭を貫かない限り。 そしてわたしはペンを置いた。

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