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「……ごめんなさい、お客さんにこんなこと」


 それからしばらくして、ようやく落ち着いた若菜と一緒にシキは座っていた。

 リンはなかなか戻って来なかった。先ほど歩いてきた感じ、大通りのスーパーまではそこまで遠くもない。

 ……もしかして、本当に面倒だから逃げただけか?

 とにかく。


「まあ、仕方ないよ。人はみんな、いつかこうなる。人間は生きてるんだから」


 シキは思う。

 死について、人間の生命について。

 ……自分は死ぬことがない。それなりに長い時間を生きてきた。だから普通の人間の価値観など、本当の意味で理解できていないのだと、自分でもわかっている。


「でも、前まであんなに元気だったのに。こんな急になんて……」


 先ほどまで、自分たちをもてなそうとしてくれた時の元気は、もうこの子にはなかった。さすがにシキも、先ほどは悪ふざけが過ぎたと反省する。

 見た感じ、十歳くらいだろうか。シキからすれば十歳も五十歳も大して変わらないので、見た目で歳を判断するのは苦手だが、若菜はずいぶん幼い。


「……私。おじいちゃんとずっと二人で暮らしてるんです。両親も居なくて。だから、これからどうすればいいか、わからなくて」

「……そっか」


 シキはもう一度、若菜を胸に抱き寄せてやる。

 たった一人の家族だ。それが死にかければ、こうなるのも当然だろう。

 そのまま、またしばらく何もしない時間が続いた。二人とも、身じろぎひとつしなかった。

 今のシキには何も出来ないし、たとえ力が戻ったとしても何もしないだろう。人間たちの事情に、そこまで入れ込むほどの理由もない。


「……やっぱり、タタリなのかな」

「なんだって?」


 だから若菜が、タタリ、などと呟いたことにシキは驚いた。


「なにがタタリだって?」


 シキがすぐに聞き返したので、若菜は驚いてそのまま黙ってしまう。


「あー、ごめん。急に。

 ……ねぇ、若菜ちゃん。何か気になる話でもあるの? その……この町のことで」


 若菜の頭を撫でながら、シキは問いかける。

 若菜は少し躊躇ったが、少しのあいだシキの目を見つめ、それからようやく口を開いた。

 この町で、ささやかな噂になっているという話のこと。


「町の人たちが、急に元気が無くなって、寝たきりになっちゃうんだって。うちのおじいちゃんの他にも、何人かが……

 町のことに詳しい人に聞いてみたら、昔から、何十年かに一回づつ、そういうことが起きるみたいで、それが、狐のタタリなんだ、って……」


 シキは、若菜の話をそのまま黙って聞いていた。

 不思議な力を持つ、化け狐ーー思い当たる節が無いわけでもなかった。

 若菜の言うことが本当なら、それまで元気だった老人が、急に起き上がることも出来ないほど衰弱する、というのもあり得る話かもしれない。

 もちろん、ただの推論に違いないのだが……


 シキが何かを考えようとしたところで、玄関の戸が勢いよく開かれる音がした。


「……話はだいたい分かった。

 シキちゃん……私たち、おじいちゃんをなんとか出来るかも」



_______




 ずいぶん遅い買い物から帰ったリンが「なんとか出来るかも」と言って、まず最初にしたのは、そのタタリの話……ではなく、彼女は台所を借りて、普通に料理を始めてしまった。

 買ってきた食材を手際良く捌くと、ほとんど待たせることもなく、三人分の豚肉のソテーが出来上がった。付け合わせのバランスもよく、盛り付けも美しい。


「いつの間に、こんな洒落たものを作れるようになったんだ」

「……シキちゃんが、前に食べたいって言ったんだよ」


 リンがそう言って睨むので、シキは黙って料理を味わうことにした。もちろん、そんなことを自分がいつ言ったのか、覚えているはずがない。


「リンさん、これ、すっごく美味しい! お料理上手なんだね!」

「ふふ……実は大得意……いぇい」


 しかも、若菜はリンの料理を付きっきりで手伝ったためか、二人はやけに仲良くなっていた。

 リンも、それまでとは打って変わって、若菜と普通に話をするようになっていた。もともと他人と話をすることが少ないリンにしては珍しい。


(私の苦労はなんだったんだよ〜!)


 料理の話で盛り上がっている二人をよそに、シキは無言で肉を頬張っていた。久しぶりの、まともな人間の食事だ。


「若菜ちゃんも、けっこう包丁の使い方が良かった……料理、出来るんだよね」

「あっ……まあ、その。少しは」


 リンが問いかけると、若菜はまた少し言葉に詰まった。

 多分、何か言いたくない事情があるのだとリンは思った。

 若菜はきっと、本当は料理ができるはずだ。それも、かなり高度な技術を習得している。

 それなのに、キッチンのゴミ箱の中身は、レトルトや出来合いの食品のパックでいっぱいになっていた。

 最初、リンは彼女が料理を全く出来ないのだと思っていた。動けなくなった祖父と二人きりになり、普段からまともな食事も出来ていないのだと。

 それで自分が手料理を作ってやろうと、町のスーパーまで買い物に出て行ったのだ。

 だから、手伝いをしてくれた若菜の手際を見てリンは驚いた。

 おじいちゃんが菓子職人だから、ということもあるのだろうが、とても素人の、それも小学生の手つきだとは思えない。

 きっと、自分で料理をしたくない事情があるのだと思った。

 それもーーおそらくは、彼女の、もうこの家に居ない両親のことで。


 今、若菜はそれまでとは違った、素直に明るい表情でリンの手料理を味わっている。リンの好きな、純粋な子供の笑顔だ。


「私、誰かの手料理を食べるの久しぶりです……ほんとに美味しい」

「……普段、出来合いのものしか食べてないんだね……口に合って良かった」

「ねえ、リンさんたちは、どこから来たの?」

「いろんな所を旅してる……この前は、もっと都会のほうから」

「都会ーー東京、とかも?」

「東京の方にも、たまに……あそこは狭いけど、いろんなものがある……」

「わぁ……!」


 若菜は、二人にいろいろなことを聞いた。

 今まで旅してきた場所のこと。

 都会の街並みのこと。

 最新の若い女の子のファッションや、食べ物のこと。

 答えられないこともあったが、二人はなんでも彼女に話して聞かせた。どれも、短い現代という時代の中で生まれ、やがてすぐに忘れられていく華やかな流行のことだ。


「都会って、やっぱりすごいんだ……いいなあ」

「若菜ちゃんは、都会に行きたいの?」

「うん。この街も好きだけど、いろんなものに触れたかったら、やっぱり大きい街で勉強しなきゃいけないのかな、って」

「それは、どうかな……」


 三人は早めに食事を終えてしまうと、少しの間それぞれに過ごした。

 リンと若菜は食器を洗いながら、まだ旅先で見た街の話を続けている。

 シキはと言うと、なんとなく話に混ざれなくなったので、リビングの大きな窓を開けて、縁側に出た。庭はそれほど手入れをされているわけでもないが、雑草も抜き取られ、垣根の向こうには綺麗な空がいっぱいに広がっていた。

 心地よい風に柔らかい髪を遊ばせながら、シキは縁側に腰掛けてまた物思いにふける。


 ーー狐のタタリ。


 若菜はそう言っていた。

 なんだか懐かしい響きだと思う。

 ほんの数十年前までは、こういう田舎町でよく聞く話だった。

 狐やら狸やら、不思議な力を持った存在によって引き起こされる事件。

 都市開発と情報インフラの整備によって、それらの多くは駆逐されてしまった。古くから土地に根ざした森や霊場は壊され、住む場所を追われた彼らも姿を消してずいぶん経つ。


 ……本当に、そういう奴らの生き残りが、この田舎町で悪さをしているのだとしたら?


「シキちゃん。話は聞いた?」


 リンが側に歩いてきて、シキに話しかける。


「うん。まだ確信はできないけど。

 本当に〈そういう類〉の話だったら……私たち、ちょっと上手くやれそうじゃない?」


 背後に立つリンが微かに、ふふっ、と笑うのが聞こえる。

 リンは、座っているシキの髪を指で撫でた。

 不思議な縁というのはあるものだ。死にかけていたところに、こんな面白い偶然が転がっているなんて。

 二人は家の中に戻ると、テーブルを拭いている若菜に声をかけた。




________





「それって、おじいちゃんを何とかできるかもしれない、ってことですか?」

「うん。……多分、だけど」


 リンの話を聞いて、若菜は驚いた。

 二人が自分の正体を明かすことは出来なかったし、話したところで簡単に信じてはもらえないだろうから、取り急ぎは、自分たちのことを「怪奇現象の専門家」と名乗ることにした。

 こんな肩書きでも胡散臭いものだが、まだ子供の若菜にはちょうど良かった、二人が日本中を旅していて、色々な知識に詳しいこともあって、若菜はすんなりと受け入れてくれた。


 三人は、賞味期限の早いコンビニのスイーツを適当に食べながら話を続ける。

 シキは甘いものが本当に苦手だったが、リンは呪いとは関係なしに、大のお菓子好きでもあった。すでに一人で、若菜の三倍以上のプラ製カップを空にしている。


「本当にこの町でそういう現象が起きているのなら、原因になっているものを取り除くことで、寝たきりになっている人たちもすぐに元に戻せると思う。

 若菜ちゃん。この町のことについて、もっと詳しく教えてもらえないかな」

「それなら、私よりも詳しい人たちがいるから、そっちに連れて行ってあげる。

 ……でも、いいの? そんなことしてもらって。うち、お金とかもないし」


 若菜がそう言うと、シキは彼女の顔に手をやり、顔を近付けると微笑んだ。


「いいんだ、キミが元気になってくれるならーー」


 こういう口先のゲームはシキの十八番だ。

 強い妖怪は人間を魅了するものと相場が決まっている。

 こうやっていつも人間たちを誑かしてたんだろうな、とリンは思う。


「それと……これはお願いなんだけど。

 もしおじいちゃんが元気になったらさ。私たちに、美味しいお菓子を作ってくれるよう、若菜ちゃんから頼んでくれるかな?」


 結局のところ、それが二人の狙いだった。

 ーー私たちがこの町の怪奇を打ち倒し、報酬として名物のスイーツを手に入れる!



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