がらんどう様
企画「無法都市シナプス」内のイベント「シナプス納涼百物語~法なき街の怖い話~」にて投稿させて頂きます。
ピエロの8と、名前が出ていませんが四日不知の話です。
人外ホラーですが、ヒトコワ寄りかもしれません。死人も出ます。
イベント概要【 https://x.com/Kbkbr666/status/1946590008951091625 】
がらんどう様
企画「無法都市シナプス」内のイベント「シナプス納涼百物語~法なき街の怖い話~」にて投稿させて頂きます。
ピエロの8と、名前が出ていませんが四日不知の話です。
人外ホラーですが、ヒトコワ寄りかもしれません。死人も出ます。
イベント概要【 https://x.com/Kbkbr666/status/1946590008951091625 】
シリーズ
むほシナ世界タグ
投稿
夏の怖いお話ですか、成程、口三味線が得意な道化にぴったりの季節イベントですね。ピエロは時事ネタにも詳しいものです、此度はそうですね、あのネタにしましょう。
お前あの祠壊したんか! ……おや、このネタはもう古いと?
まぁ古典文学をなぞるというのも時には面白いものですし、今から別のネタを探すのもお客様をお待たせしてしまいますし。滑稽役の語りなんぞ、ぽっと聞いてぱっと笑ってぺっと捨てられるようなちゃちさが売りなのですから、今回はこのまま話し続けましょう。なぁに、大した話ではありませんので。
祠を壊した人は仮にSさんとしましょう。Sさんは私のお友達でして、少し不思議な体質をしております。記憶が三日しか持たず三日間を死に続けてまた三日を生きる彼は、いつもは日記をつけています。しかし、今回五日前から記述のない日がありました。彼は普段家に帰った夜に日記を書きますので、五日前に何かがあり家に帰らず、二日前から死んで家にいたということです。一体何があったのか、私は知ろうと思いました。生き返るからと言って、お友達が死に至る行為で三日も家に帰れなかった理由を突き止めたかったのです。
彼の写真を周囲の人々に見せながら、私は彼の足取りを辿りました。彼はシャイですが淋しがりで人懐っこい男性なので、本人の記憶が無くともご近所さんには愛されている隣人です。ですからご近所さんは三日分しか記憶を持たない彼の為に、普段通りの挨拶をします。すると彼は過去の自分が書き記した日記や、ご近所さんから書き記してくれた近況と符合させて、彼らが自分と仲の良い誰かと認識するのです。
どうやら五日前の彼は、私が仲良くしている神様の炊き出しに来ようとして、その前に何らかのお土産を探しているようでした。大概は本やお菓子やおもちゃなのですが、彼は案外ロマンチストな気質があり、景色の良い丘や不思議な花の見られる花園などを教えてくれる方でもあります。きっと、今回のお土産はそういった「場所」であったのでしょう。お気に入りのお店を聞き込みで消去法にかけた上で、彼の大きな瞳と編み込んだ髪を覚えている方々の情報を重ね合わせれば、徐々に彼が刻んだ足跡が道筋に浮かんでくるようでした。
私の目に見える足跡を追った先、それは鎮座しておりました。
何とも言えない色味に染まり、歪に石を積まれてシュロ縄で雑に縛られた、私の腰辺りまでの高さのある祠。
中からはカサカサと、何やら小さな音が聞こえております。何かが入っているらしいと気づき、近づくこと半径一メートル。
その音が泣いている赤子の声に聞こえた瞬間、慌てて扉を開こうとすれば、歪な積み石と木製の扉が外れました。
開いたお堂は伽藍堂。閉じ込められた赤子を見ることは出来ぬままに、私は後ろに立ち竦む人間の声で我に返りました。
「祠を壊したのか……なんということを……お前、それが何を封じているのか分かっているのか……!」
石の上に置かれた、木製の祠宮を抱っこして、私は「信奉者さん達」にご挨拶をいたしました。
「失礼を致しました。私は8ながら、絵札の0の如き軽やかさで、貴方方の『信仰』を怪我してしまったらしく。いやはや、愚かしき道化は心からお詫び申し上げ、どうかこの命で償いをさせて頂きたく」
成程、存在しない祠と祀られる存在を作ってまで流行り物に乗っかりたいなんて、人を殺すに刃物はいらず、ミーハー数人いりゃあ良いというわけです。
「私、ピエロの8でございます。がらんどう様、ご命令を。今こそ、貴方様のご悲願を」
私の言葉に村人さん達はきょとんとしたお顔を見せました。それはそうでしょう、だってこの方々は、祠に祀られている方のお名前も知らないのです。そもそも、この方々に信仰なんてもの、きっとなかったのでしょうから。
いえ、いくつかの信仰はあるのかもしれません。楽しけりゃあそれで良い、新しいネタは原点も知らず乗っかるべき、ノリの悪い奴はダサい……「あの祠壊したんか」をする為には、祠と壊す第三者と陰惨な処刑を用意するべし。
大事な祠を壊したから人が死ぬ、逆転、人を嬲り殺す為に祠を壊させる。よく考えたものです。
そもそも外から来た部外者からすれば、その場にいる人間が自分と同じ部外者か、それとも地元に住んでいる人か、区別のつく者ではありません。赤ん坊が泣いていれば助けなければと思うような彼が、善意の行動からとはいえ大事にされている祠を壊してしまい、その行動を咎められたとすれば――――彼は善良な自我に従い、信奉者達に言われるがまま彼らの巣窟についていったことでしょうし、その後の処罰も甘んじて受けたことでしょう。たとえ最初は怖がっていたとして、例えば祠に祀られている存在が「泣いている赤ん坊」だと虚偽を聞かされたとすれば――――たとえ結果的に死ぬことになったとして、彼は涙を止める為に儀式に参加したことでしょう。
だからこそ「この子」は産まれたのだと思います。お遊びの為に作られた祠とて、寄せられた人間共の執念と欲望、存在もしない「自分自身」へ理不尽に向けられる怨嗟や恐怖を一身に浴びた末に、ただ一人だったとしても涙を止めて笑うこと――――「笑顔を見せる生き物として」「存在を認められて」「実在を望まれた」のならば――――この世界に「生まれてみたい」と望む可能性だって、低いながらに存在するのです。
さて、私は今、Sさんのお家に戻り、彼が目覚めるまでを待っております。
二日前から此処で死んでいる彼は、明日にはまた記憶を持たぬまま目覚めます。そうして私というピエロの顔を見て、わっと驚きながらも自分の日記と私の書き置きを読み、それを信じて私を「友人」と呼ぶのです。
だから、私はいつものように彼を「お友達」と呼ぶのです。しかし今回は、認知も迫ってしまいましょうと思います。
彼が認めて私が名付けた。生まれた子供はどうあったって幸せになるべきですし、きっと彼は即興因習村生まれのこの子にだって、当たり前のように「こんにちは」と挨拶をしてくれるのでしょうから。
即興因習村と信奉者達はどうなったかって? さて、私、田舎が嫌いで飛び出してきた跳ねっ返りピエロで、その顛末に大して興味など在りませんでしたので。けれども、まぁ。
自分が「自分の存在を認めてくれた無辜の善人を嬲り殺す為に作られたのだ」と知ったら、がらんどう様はその時、何を思ったことでしょうね。
一つ言うことがあるならば、子を憎む親なんていない、なんて言葉が、時に悲しい子供を死に至らしめるように。
どんな親だって子供は愛するのだ、なんて傲慢は、因習を育んだ悍ましい肉と共に、土に還すのが一番なのでしょう。